【2月28日 People’s Daily】防疫は一種の人民戦争だ。前線では、看護師や社区(自治会)の防疫担当者が日夜奮戦している。後方では、多くの普通の人がこの戦争に貢献している。

 2月5日の夕方。武漢市(Wuhan)の武鋼第2医院でトラックから積み荷を降ろそうとしたとき、トラックが木の枝にぶつかり、多数の白菜が落ちてしまった。趙勇(Zhao Yong)さんは地面に落ちた白菜を見て心がうずいた。趙さんは40代の男性だが、目には涙も。「われわれが苦労してとってきた白菜。数日間、忙しい思いをして収穫してきたのに」と趙さん。

 趙さんは四川省(Sichuan)汶川県(Wenchuan)竜竹村の共産党支部書記。この日は農民12人を率いて自らトラックを運転して100トンの野菜を武漢市内の病院に贈った。武鋼第2医院は最後の病院だった。今回の措置は恩返しだった。

 2008年、汶川でマグニチュード8.0の地震が発生したときには、全国各地が汶川を助けていた。

 2月9日、イラン国籍のバリスタ、シーナさんは武漢の東湖新技術開発区のコーヒー店で忙しく働いていた。この店はもともと一時休業する予定だったが、常連客の中に病院の医療スタッフがいるのを店員は知っていた。医療スタッフは最前線で働いていた。このため、数人の若い店員は営業継続を決め、医療スタッフの需要に応えようとした。

 このころ、シーナさんはイラン大使館からイラン国民を故国に輸送する特別機があると2回連絡を受けた。仲間からも再三、一時帰国を勧められたが、シーナさんは帰国を拒否。仲間たちと一緒に、看護師さんたちにコーヒーをつくりたいと言った。

 2月12日、袁伝偉(Yuan Chuanwei)さんは湖北省(Hubei)に送る製品を完成させ、大きく息をついた。袁さんは蘇州の精密機械会社の責任者。2週間前、顧客からの電話を受けた。顧客は防疫のために消毒設備を注文したいと言った。

 だが、新型肺炎により生産ラインの従業員5人は職場に戻れない。袁さんは生産ラインを熟知しており、防疫のために設備が必要とされていることも考慮、思い切って注文を引き受けた。それから2週間、袁さんは作業場に寝泊まりし、昼も夜も作業を続けた。機械が自動で動いている間に短時間休憩した。「この2週間、つらかったけど、疫病で人が死ぬことを思えば我慢できた」と袁さん。(c)People's Daily/AFPBB News