【2月23日 AFP】ローマ建国神話の王ロムルス(Romulus)のものと考えられている紀元前6世紀に作られた石棺が21日、全世界に公開された。

 この石棺をめぐっては、歴史専門家らが数か月にわたり調査を行っていたが、伝説の王ロムルスのものだとする合意には至れなかった。

 石棺は100年以上前にイタリアの首都ローマ中心部にある古代ローマ時代の遺跡、フォロ・ロマーノ(Roman Forum)の地下で円形の祭壇と共に発見された。

 神話では、ロムルスは双子の弟レムス(Remus)を殺し、ローマの都を建設したと言われている。ロムルスとレムスは雌のオオカミに育てられたとされ、オオカミの乳を飲む双子の姿はローマのシンボルとなっている。

 しかしロムルスとレムスは成長後、都を建設する場所をめぐって仲たがいしてしまう。ロムルスは、都の境界線を定めるためにパラティーノ丘(Palatine Hill)の周囲に四角い溝を掘った。それをあざ笑ったレムスは、侵略者に対して効果がないことを証明しようとその「壁」を飛び越えた。するとロムルスは、レムスを殺してしまった。

 神話によればロムルスはその後、ローマ元老院を創設し、都の初代王として40年近く統治した。だがある日、軍の視察をしている間に姿をくらましてしまった。戦の神に連れられて天国へ行ったとする説もあれば、不満を持った元老院議員らによって手足を引き裂かれて惨殺され、その遺体は都中にばらまかれたとする説もある。埋葬すべき遺体は残されていなかったかもしれない。

 いずれにせよ、まるでローマが、架空の存在かもしれない最愛の建設者ロムルスのために神殿を建てたことが本当であるかのように、ロムルスはカルト的な人気を獲得した。

 双子は本当に実在していたのか、もしそうならばその死後、憤怒した議員らによって解体されたとされるロムルスの遺体はどこに埋葬されているのか。長年にわたり歴史研究家らは論争を続けてきた。

 石棺は19世紀に発見され、その存在は当時の専門家らに知らされた。1980年代後半には科学者らによる発掘チームが、巨大な石を特徴とした長く深い溝を発見。科学者らは、ロムルスが都の境界として掘った「聖域の溝」だと主張した。

 石棺のあるフォロ・ロマーノを管理するコロッセオ考古学公園(Colosseum Archaeological Park)は、最近見つかった手掛かりはいずれも石棺がロムルスのものであることを示すもので「驚くべき大発見」と銘打っている。だが考古学者らは、石棺の中からは1本の骨も見つかっておらず、科学的な立証は不可能だとし、慎重になるよう呼び掛けている。

 発掘を担当するパトリツィア・フォルティーニ(Patrizia Fortini)氏はAFPに対し、「それは、フォロ一帯にロムルスの墓が実在するとした古代の情報源に基づく仮説でしかない」と述べ、「重要な遺跡であることは確かだ。ひつぎの形は、追悼の場となる記念物を連想させるが、実際に何だったのかは分からない」と語った。(c)AFP/Franck IOVENE