元NBA選手のジョー・ブライアント(Joe Bryant)氏を父に持つブライアント氏は、父親がフィラデルフィア・セブンティシクサーズ(Philadelphia 76ers)でプレーしていた1978年にフィラデルフィアで生まれた。1984年から1991年までは父親が移籍したイタリアで過ごし、広い視野を得ながら父と同じNBA選手になるという夢を育んでいった。

 そして17歳で、ガードの選手としては初、歴代でも6人目となる高校卒業からの即NBA挑戦を決断。1996年のドラフトでシャーロット・ホーネッツ(Charlotte Hornets)に全体13位で指名され、ドラフト前に決まっていたトレードでレイカーズに加入した。

 18歳のときには当時の最年少出場や最年少先発の記録を樹立し、オールスターゲーム(NBA All-Star Game)でも史上最年少でのスラムダンクコンテスト優勝を果たした。オールスターでは、1998年に最年少先発の記録を作っている。翌シーズンには、労使交渉が難航してシーズンが短縮される中、全試合に先発し、チームと新たに6年総額7000万ドル(約76億円)の契約を結び直した。

 その後は、ジョーダン氏とシカゴ・ブルズ(Chicago Bulls)の時代が終わりを迎える中で、ブルズで成功を収めたフィル・ジャクソン(Phil Jackson)HCがレイカーズに招へいされると、チームは強力なスコアラーのブライアント氏と、ゴール下で圧倒的な存在感を放つシャキール・オニール(Shaquille O'Neal)氏にけん引され、2000年から2002年に3連覇を達成。チームは1988年以来となる黄金期を迎えた。

 2003年には、膝の手術に先立って訪れていたコロラド州で、19歳のホテル従業員をレイプした疑いで逮捕された。しかしブライアント氏本人は関係を持ったことを認めた一方でレイプは否定し、女性が裁判での証言を拒んだため訴えは取り下げられた。

 2016年にレイカーズで現役キャリアを全うした後は、エンターテインメント業界へ本格参入し、財産と名誉をもたらしたバスケットボールへの思いが表現された作品『Dear Basketball』でアカデミー賞(Academy Awards)の短編アニメーション賞を受賞した。(c)AFP