【1月27日 AFP】骸骨のように痩せ細った死体の山、遺体焼却炉へ続く扉、衰弱した人々の顔――1945年の春、AFPのカメラマン、エリック・シュワブ(Eric Schwab)氏は、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所の戦慄(せんりつ)の様子を記録しながら、収容所に送られた母親を捜していた。

 シュワブ氏はドイツへ向かう列車から逃げ出し、後にレジスタンス運動に加わった。同氏は1944年8月、パリ解放後にジャーナリストらが再建したAFPで働いた初期カメラマンの一人だった。進軍する連合軍の従軍記者となったシュワブ氏は、連合軍がナチスの死の収容所を次々と解放する中で、明るみに出た恐怖を目撃することになった。

 ユダヤ系ドイツ人の母エルスベート(Elsbeth)さんを見つけたいという思いが、シュワブ氏を突き動かしていた。エルスベートさんは1943年に強制収容所に送られて以来、消息不明になっていた。

 シュワブ氏の夢は、現在のチェコ・テレジーン(Terezin)にあったテレージエンシュタット(Theresienstadt)強制収容所で現実のものとなった。1945年5月、看護帽をかぶった白髪の弱々しい女性を発見したのだった。母親だった。

 当時、56歳だったエルスベートさんはなんとか死を免れ、収容所で生き延びた子どもたちの世話をしていた。2人の再会は当然のことながら深い感動に満ちたものとなったが、シュワブ氏は母親の写真は撮らなかった。撮ったのかもしれないが、写真を公にはしていない。

 戦後、シュワブ氏とエルスベートさんはフランスを去り、1946年から米ニューヨークで暮らした。

 シュワブ氏の才能が全面的に認められたのは数年後のことだった。

 1977年、シュワブ氏は67歳で死去した。(c)AFP