■最後の抵抗

チェンコーン(Chiang Khong):67キロ地点

 村では祭りが開催され、上品な手織りのスカートをはいて笑みを浮かべた高齢者たちが寺の前に置かれた「竜神」の前に座っていた。竜神は川に住むとの言い伝えがある。寺の入り口の壁画にもメコン川をとりまく生活の様子が描かれている。

「私たちの文化と歴史はメコン川と結びついている」と、信徒の一人であるサマイ・リンナサック(Samai Rinnasak)さんは話す。

 しかし、経済的成長と環境における変化は、その関係性のあり方を変えてきた。

 チュラロンコン大学(Chulalongkorn University)安全保障国際問題研究所(Institute of Security and International Studies)のティティナン・ポンスティラック(Thitinan Pongsudhirak)氏は、ダム建設やSEZ、ラオスとカンボジアの懐柔などを引き合いに出し、最終的に中国は「欲しいものは手に入れるだろう」と指摘する。「これが中国のやり方だ」

フアイルック(Huai Luek):90~97キロ地点

 さらに1時間ほど川を下ったところに、トーンスック・インタウォン(Thongsuk Inthavong)さんが住むフアイルック村がある。ここには、漁師が10人しか残っていない。メコンの恵みは失われつつあり、経済も衰退してしまった。

 元村長のトーンスックさんは、2008年からの10年でメコン川は茶色く変わってしまったと言う。水が茶色くなった年に中国のダムの運用が始まった。

 トーンスックさんの高床式の木造の家は、対岸のラオスの変化がよく分かる特等席だ。小作地は中国資本が所有する広大なバナナ農園になった。この企業はタイの農民にも声をかけてきたという。川沿いの小さな集落は徐々に追い詰められている。

「中国は私たちのことをおもちゃのようにもて遊んでいる」とトーンスックさんは話す。「怒りを感じる。私たちの川は私たちが守る」 (c)AFP/Aidan JONES / Sippachai KUNNUWONG