【1月17日 東方新報】満州人の民族衣装を起源とするチャイナドレス「旗袍(チーパオ)」の普及と、中華伝統文化の振興を目的とした全国組織、中華文化促進会旗袍芸術委員会は1日、北京で中華旗袍国際盛典―中華旗袍100年慶祝活動の記者発表会を開き、元全国人民代表大会常務委員の朱相遠(Zhu Xiangyuan)氏、作家で中国文化促進会主席の王石(Wang Shi)氏、著名講談芸人で中国曲芸家教会名誉主席の劉蘭芳(Liu Lanfang)氏、中華文化促進会の陳鋼(Chen Gang)副主席らが参加した。

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 委員会は中華文化促進会の批准を経て成立し、国内外で旗袍文化芸術を熱愛する著名人と協力してハイレベルな文化活動を展開、旗袍文化を広めることで国際文化交流を促進して、中国の国家イメージを発信している。

 委員会の邵光(Shao Guang)主任は、「20世紀から21世紀にかけて旗袍100年の発展の中に中国の歴史の歩をみることができる。中国5000年の服飾文化が内に秘められている、中国服飾芸術と西洋文明の対話の重要な担い手でもある。中国のファッションをまとい、旗袍伸びを伝えることは中国の国家イメージを発信し、文化的自信を強め、民族精神を高揚させるという意義があり、これは中華文化促進会旗袍芸術委員会の神聖な使命だ」とあいさつした。

 旗袍は清朝を打ち立てた騎馬民族、満州人の服装と列強支配によって流入した西洋服が融合したもので、洋裁の体に合わせた裁断技術が特徴。両脇に入った深いスリットは、本来、馬に乗るために足を広げるためのものだった。

 中華民国時代の都市女性の間で1920年ごろから流行しはじめ、1930~40年ごろに隆盛を極め、当時ファッションの最先端の地であった上海から流行が発信されては全国を風靡(ふうび)した。礼服の風格がある北京風、華やかなファッション性がある上海風など、地域や時代によって流行もかわった。共産党政権になって後、ぜいたくで華やかな旗袍は一時消えて、人々の服装は人民服が基本となったが、改革開放後、再びファッション産業が盛り上がると旗袍も見直され、いまや中国人が誇りとする中華伝統ファッションとして定着している。

 振り返れば、紀元前26世紀から17世紀明朝滅亡まで中断なく続いた漢服が清朝成立とともに駆逐され、漢族も征服民族・満州人の衣装を強制された。そこに20世紀になって西洋列強の洋服文化が融合して誕生した旗袍に刻まれた歴史は複雑だ。2018年に米ユタ州の白人女子高生が卒業パーティーに旗袍を着た写真をSNSに挙げたことで「旗袍の歴史の重みを知らなすぎる」「中国文化を軽視している」と批判を浴びたこともあった。

 だが、そうした歴史を含めて中国としては旗袍文化を海外にも発信していくという。祝賀イベントスケジュールとしては、2020年5月に重慶市で中華旗袍国際盛典の一連のイベントが開催してのち、10月にはアラブ首長国連邦・ドバイ万博の中華文化館での中国旗袍年活動を行い、旗袍文化芸術の展示によって、中華旗袍文化の対外進出を通じて、「一帯一路(Belt and Road)」建設に積極的に影響を与え、国際文化の交流に貢献したい考えだ。

 2021年の春節時期には、中華文化館で盛大な春節パーティーを開催し、旗袍を中国精神の媒体として、中国の建設成就を宣伝する予定だという。また北京、上海、湖南(Hunan)などでは旗袍文化サミットフォーラムが開催され、国内外の旗袍文化研究分野の専門家が参加、100年の旗袍発展史の変遷や未来の発展の行方について討論する。(c)東方新報/AFPBB News