■「自由なイスラム教徒の少女」

 医師はすぐに、アッバスさんをイラクのIS拠点だったモスル(Mosul)にあるISの裁判所に連れて行った。そこでアッバスさんは「自由なイスラム教徒の少女」であると宣言され、正式な書類が発行された。

 アッバスさんと家族は2015年、YROによって救済され、シャリアに落ち着いた。この避難民キャンプには、家を追われたヤジディー教徒が1万7000人以上住んでいる。

 ISはイラクの拠点を2017年に失い、昨年3月には隣接するシリアの最後の支配地からも追放された。ISの「カリフ制国家」が跡形もなく崩壊すると、何年間も捕らわれの身となっていたヤジディー教徒数百人が逃げ出した。

 だがYROによると、数千人が今もなお行方不明のままだ。

 またヤジディー当局によると、一部はイスラム教に改宗し、今なおイスラム教徒の家族と暮らしている。恐れや恥の意識、または「洗脳」のために帰郷できないでいるという。

 アッバスさんは現在、半日を学校で過ごし、残りの半日は恩人であるYROの事務所で働いている。アッバスさんの任務は、このような女性や少女を説得して元の家族に戻すことだ。また、救済された50人以上の少女と面接して体験談を記録し、YROに保管する仕事も担当している。

 この仕事は、「悲しいと同時に幸せ」な気持ちになるとアッバスさんは話す。「恐ろしい体験を全部聞かなければならない。話はそれぞれみんな違っているが、どれも悲痛だ。私の体験談より悲惨なものもある」

 だが、アッバスさんは自分の仕事に誇りを感じている。「生き延びた女性を救済する仕事に関わることができてうれしい」

■始まったばかり

 アッバスさんは、2018年にノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞したヤジディー教徒の人権活動家、ナディア・ムラド(Nadia Murad)氏と同じ道をたどりつつある。

 アッバスさんの父親アブドラ(Abdullah)さんはAFPに、「初めは娘が捕らわれの身となったことについて話すとき、私はいつも背中を向けていた。正面切って話を聞くのがとてもつらかったからだ」と語った。

 だがアブドラさんは今では、生き延びたすべてのヤジディー教徒が自分の体験を語ることを望んでいる。なぜなら本人だけではなく、破壊された少数派であるヤジディー教徒の助けにもなるからだ。

 アッバスさんは最近、英語の勉強を始めた。だがそれは、活動家として抱いている志をかなえるための初めの一歩にすぎない。「将来は弁護士になって、イラクの法律と国際法に精通し、生き延びたヤジディー女性と他のIS犠牲者の権利を擁護したい」とアッバスさんは夢を語った。(c)AFP/Qassim Khidir