古くからの木造住宅と、近年に建て替えられた一戸建てが混在する、東京大田区の歴史ある住宅街。共働きの勤め人であるKさん(48歳)達の家は、このエリアの坂の上。クルマのすれ違いが難しい細い路地の一番奥に建っている。右ページの写真に見えるのは東側だが、プライバシーを配慮して窓を小さくしたほど、隣家との距離は近い。

坂の上に建つK邸。家の前は細い路地で、RX-8の停められた脇あたりから下り階段となっている。RX-8の後ろには、もう1台停められるスペースが。

設計を担当したのは、納谷建築設計事務所。家作りは予想外のスタートで始まった。なんと納谷さんたちとの最初の打ち合わせは、東日本大震災が起きた日の午後に予定されていたのだから。顔合わせどころか、Kさんは帰宅もできなかった。これで、いざとなったら職場から歩いて帰れるエリアへの重要度が高まり、見つけたのがこの場所である。もっとも仲介した不動産屋が「手を出さない方が良いのでは」とアドバイスするほど難易度が高い、半分が急な斜面の敷地だ。しかし、「サラリーマンだと、都心でこれ以上の好条件の土地を見つけるのも簡単ではない」。可能性を感じて決断した結果、敷地の半分しか使っていないにもかかわらず、クルマが3台(しかも1台分はビルトイン!)も停められるうえに、家族4人が快適に暮らせる家ができあがったのである。

そもそもKさん達が家を作ったのは、マンション住まいのままでは憧れのロータス・エリーゼのガレージ確保が難しいから。そう、Kさんは大のクルマ好きで、この家は趣味のクルマを楽しむために建てたと言っても過言ではないだろう。

スーパーセブンが置かれているガレージ入口にはシャッターが設けられており、奥には大きなガラスがはめ込まれている。
ガレージ内の照明デザインは、シンプルだが気の利いたもの。
ガラス越しにクルマが見える玄関ロビーは、壁のアートが映えるよう意匠に工夫が。

新車で買って長く乗り続けるポリシーのKさん。最初のクルマは、社会人2年目で手に入れた日産シルビア(1995年型)だ。パーツを交換し、サーキットの走行会に参加するなど10年ほど楽しんだ次が、今のマツダRX- 8(2005年型)。もっとも、本当に欲しかったのはRX- 7だった。しかし躊躇っているうちに生産中止に。もしや隠れた在庫があるのではと思って訪れたディーラーでRX- 8を試乗して気に入り、Kさんの元にやってきたのである。ちょうどお子さんが生まれたばかりで、RX- 8なら後ろに子供を乗せることも可能だ。運転も楽しく、今でも二人のお嬢さんを乗せての家族旅行はRX- 8である。

一方、ライト・ウエイトのオープンカーにも興味があり、いずれロータス・エリーゼをということで、ビルトイン・ガレージもそれを想定して設計した。ところが、エリーゼよりもさらに軽いスーパーセブンが気になり始める。

背中を押したのは奥様

迷っていると、RX- 7での失敗を傍で見ていた奥様が、「悩んでいないで決断し、早く楽しんだ方が良いのでは」「先にスーパーセブンに乗って、体力的にきつくなったらエリーゼにしたら」と、背中を押してくれたのである。スポーツカー2台に、普段使いのクルマを含めると、合計3台の生活となるが、「夫の趣味を妨げる理由は何も無い」と、極めて協力的だった。

細身のスーパーセブンには、「痩せないと乗れない」ので、Kさんは普段から自転車に乗って体を絞り、オーダーしてから待つこと1年余。去る3月にスーパーセブン(ケータハム・セブン270S/2019年型)はやってきた。以来週末は、暇さえあれば乗っているそうで、なんと走行距離は7カ月で8000キロに。奥様を隣に乗せて朝早く出発し、房総半島まで美味しい魚を食べに行ったこともあるそうだ。もっともスーパーセブンが来てから、自転車に乗らなくなって体重が元に戻ったことと、RX- 8で出かける機会が減ったことが新しい悩みだとか。

さて、K邸の家作りは、合理的な奥様が中心となって進められた。仕事がプロダクト・マネージメントということで、段取り等はお手のもの。住み方に関する優先順位も、絶対に譲れないもの、場合によっては譲歩できるもの、どちらでもよいものなどと明確にし、決めていったもちろん家づくりでの最優先事項は、オープンカーを含めたクルマ2台分の駐車場。続いて、大量の本を収納できるスペースと、二人のお子さんにそれぞれの部屋を用意することであった。

広々とした2階のリビングダイニング。写真左手の東側は隣家が迫っているので、窓は小さい。逆に西側の隣家は斜面の下なので、大きな開口部を設けることができた。
3階の2つの子供部屋を支える柱が存在しないため、奥のキッチンまでが1つの空間となり、より広さを感じることに。リビングに面した子供部屋の窓と螺旋階段も、広々感に一役買っている。長年用いてきたダイニングテーブルや照明が、そのまま使えるような設計上の配慮も。
1階の水回りスペースも光が差し込み開放的だ。
主寝室は地下にあるが、日当たりは良い。

設計を納谷さんたちに依頼したのも、奥様が建築雑誌とネットを調べて。設計スタイルが好みなうえ、なにより「楽しそうな暮らしがおくれそう」だったのだ。納谷さん達は斜面を上手く利用し、4層の家を設計した。1階はビルトイン・ガレージを含めても40㎡ほどしか利用できない土地だが、割り切って玄関と水回りのみに。その上に張り出す形の2階は、リビングダイニングとキッチン。西側の隣家は斜面の下なので、リビングに設けた大きな窓から十分な光が入ってくるうえ見晴らしが良く、プライバシーも確保できる。さらに、キッチンとの境を設けず吹抜けにしたことで、開放感は相当なものとなった。リビングの東側の壁には、本棚とワークスペースを配した。そして螺旋階段を昇った3階は、二人のお子さんの個室。主寝室は路面より低い階だが、斜面を利用し光が入るようになっている。Kさんは車庫さえあれば満足だったが、玄関ホールからガレージが眺められる予想外のサプライズもあった。

聞けば、普段家に居る時のKさんの定位置は、広いリビングのソファだとか。なんといってもそこは、この家の特等席。本当に気持ちの良い場所だ。クルマ中心のようでいてK邸は、奥様が予感したように、楽しい暮らしをおくれる家となったのは間違いないだろう。

■建築家:納谷学 1961年生れ、納谷新:1966年生れ 秋田県出身。兄弟で活動。共に芝浦工業大学を卒業。兄は黒川雅之、弟は山本理顕の事務所などを経て、共同で事務所を設立。K邸は兄の学が担当した。住宅設計が多いが、写真の尼崎パーキングエリアのような大きな施設を手掛けることも。弟はハーレーに乗るバイク党。

文=ジョー スズキ 写真=鈴木 勝

(ENGINE2020年2月号)