【12月21日 AFP】ワールド・サーフリーグ(WSL)の男子ワールドツアー最終戦、ビラボン・パイプマスターズ(Billabong Pipe Masters)が20日、米ハワイ州オアフ(Oahu)島のノースショア(North Shore)で行われ、サーフィン界のレジェンドである米国のケリー・スレーター(Kelly Slater)が来年開催される東京五輪の出場権を逃した。

 史上最高のサーファーとして誰もが認める47歳のスレーターは、初めてサーフィンが正式種目となった来年7月の東京五輪を目指していたが、膝の手術から復帰した同胞のジョン・ジョン・フローレンス(John John Florence)に、惜しくも米国代表の残り1枠をさらわれてしまった。もう一つの出場権は、すでにコロヘ・アンディーノ(Kolohe Andino)が獲得していた。

 ISAワールドサーフィンゲームス(ISA World Surfing Games)で通算11度のタイトル獲得を誇り、同大会では最年少と最年長の優勝記録を持つスレーターは、その驚くべき波乗りの映像がファンや選手たちにとって見逃せないものとなり、世代を代表するスターサーファーらを刺激する存在だった。

 8歳でユース大会に出場したスレーターは、五輪選手として競技に臨んでいれば40年間にわたるキャリアの壮大な集大成となっていたが、大会を見守ることになってしまった。米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)のインタビューでは、「東京五輪は観客として楽しむよ」とコメント。その一方で、五輪を逃してもキャリアを終えるつもりはないといい、「2020年も必ず、波の上に乗っている自分の姿をお目にかける」と付け加えた。

 東京五輪の出場権を得るためには今大会で優勝する必要があったスレーターだが、準決勝で敗退したことで世界ランク8位にとどまり、2016年と17年の2連連続で世界1位となったフローレンスに1ランクおよばなかった。

 オアフ島のノースショア出身のフローレンスは、自分よりも20歳年上でサーフィン界のアイコン的存在であるスレーターのファンだったといい、「彼は子どものときから自分のアイドルだった」「家族の一員とか、親戚のおじさんのような存在だ」と語った。

 膝のけがで今季は11大会中5大会を欠場していたフローレンスは、シーズン最終戦となった今大会で復帰して準々決勝で敗退したが、スレーターが準決勝でブラジルのイタロ・フェレイラ(Italo Ferreira)に敗れたため、五輪の出場権をものにした。(c)AFP