■韓国政府の無視と無関心

 ファンさんの母親は、夫がいなくなったことで精神的ダメージを受けた。そして、ファンさん自身も父親が北朝鮮にいるという事実が「重大な足かせ」となり、まともな職につくことができなかった。

 2001年、政府が定期的に実施する朝鮮戦争(Korean War)の離散家族の再会事業で、ハイジャック機の客室乗務員だった女性が32年ぶりに母親と再会した。涙ながらの再会を見てファンさんは、父親を捜そうと決心した。勤めていた出版社を辞め、韓国国内を回りハイジャック事件への関心を呼び起こす活動を始めたのだ。

 父親は生きていれば82歳になる。ファンさんは2017年、仲介者を通じて本人しか知り得ない質問への答えを確認し、少なくともその時期までは父親が生きていたことを確信した。

 韓国政府は当初、ハイジャックの被害者らの北朝鮮での立場を複雑にしないため、家族らに目立った行動はしないよう求めていた。

 南北関係は、ファンさんの活動期間中も悪化と改善を繰り返した。だが、外交プロセスはファンさんの父親捜しには全く影響しなかった。韓国の文在寅(ムン・ジェイン、Moon Jae-in)大統領は今年、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-un)朝鮮労働党委員長と会談したが、ファンさんは苦々しい思いでそれを見ていただけだった。

「あれはむなしい南北統一の呼びかけの延長にすぎない。何度も同じような話を聞いてきた」とファンさんは語る。そして、最重要視されるべき人道問題は常に蚊帳の外であることを指摘しながら、「韓国政府の無視と無関心は私の心に大きな痛みを残した」と述べた。

■墓前で泣くことに興味はない

 ファンさんは毎日午前4時に建設現場での仕事を探し、午後5時ごろには仕事を終える。夕方以降は情報機関向けの資料を準備し、メディアのインタビューに答えるための時間に充てている。

 ファンさんは、父親捜しの活動に終わりが見えないことを認める。だが、「私が諦めてしまったら、私も父を強制的に拘束した加害者の一人になってしまう」とも話している。

 ファンさんはまだ希望を捨てていない。

「私は父の遺体に対面することや父の墓前で泣くことに興味はない」

「自分と父がどれだけ似ているのかを確認し、父親がいるということがどういうものなのかを知りたい」 (c)AFP/Sunghee Hwang