【12月9日 AFP】トゥー・マウン(Htoo Maung)さんはお昼に昔からの友人の隣に座り、1杯の麺を分け合って食べた。日常の何でもない光景だが、ミャンマー・ラカイン(Rakhine)州では極めて珍しい光景だ――なぜなら、マウンさんはイスラム教徒、友人らは仏教徒だからだ。

 彼らはかつて、隣同士に住んでいた。

 だが今では厳しい外出禁止令が敷かれており、マウンさんは友人らを訪問した後は、チャウピュー(Kyaukphyu)のイスラム教徒収容施設に戻らなければならない。

 2012年、ある仏教徒女性を複数のイスラム教徒男性がレイプしたとの疑惑がきっかけとなり、マウンさんの生まれ故郷を含むミャンマー西部一帯で衝突が起こった。暴徒は家々を略奪、警察は「イスラム教徒を守るため」に彼らを数か所に集めた。これらが後に収容施設となった。200人以上が死亡し、数万人が家を追われた。

 この出来事が、5年後のラカイン州北部におけるイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)数十万人に対する血の粛清につながったといわれている。宗教間の不信感と分断は長引いており、もはや元には戻らないと多くの人は感じている。また、当局は共同体の再統合は新たな混乱を招くだけだと主張している。

 だがチャウピューのイスラム教徒の中には、古くからある共同体の絆は完全には絶たれていないと期待し、仏教徒の友人と注意深く関係を維持している人もいる。

 身元保護のために偽名で取材に応えたマウンさんは「地元の人は襲ったりしなかった」と語り、悪いのはよそ者だとほのめかした。

 チャウピューのラカインの議員チョー・タン(Kyaw Than)氏は、チャウピューはイスラム教徒の帰還を歓迎する準備はあるが、政府の承認が条件だと語った。