【12月15日 AFP】米国における銃暴力の悲惨さは公然の事実だ。毎年平均3万6000人、1日当たり約100人が銃を使った殺人、自殺、また警官による発砲などで死亡している。米国は世界で最も銃が出回っている国であり、毎日数百人が銃により負傷している。

 以下3人の米国人は、銃身の先にいたために人生すべてが変わってしまった人たちだ。

■コロンバイン高校銃乱射事件

 1999年4月20日。コロンバイン高校(Columbine High School)の図書館にいたケーシー・ルッグセガー(Kacey Ruegsegger)さんは、外からパンパンという音がするのを聞いた。何が起きたのかと振り返ったが、音はそこでやんだので、ルッグセガーさんは読んでいた雑誌に目を戻した。

 当時、学校での銃乱射などという言葉はほとんど使われていなかった。数分後、銃を持った少年たちがいると叫びながら一人の教師が入ってきた。

 ルッグセガーさんはノースカロライナ州ローリー(Raleigh)の自宅でAFPとのインタビューに応じ、その時の様子について「パニックと彼女の声でこれが本当に起きていることだとはっきりし、私たちは身を伏せて隠れる必要に迫られた」と語った。

 ルッグセガーさんはコンピューターの作業スペースの下に潜り込み、椅子をぴったり引き寄せて身を潜め、銃撃犯が通り過ぎて行くのを願った。だが、その判断は誤っていた。

「犯人は私の後ろに隠れていた男子を殺し、私に銃を向けた。私を撃った時の銃声は今も覚えている」

 至近距離からの散弾銃の発砲は、ルッグセガーさんの右肩を後ろから前に撃ち抜いた。両耳をふさいでいたため、銃弾は手も貫いた。

 実行犯の十代の少年2人は、生徒12人と教師1人を殺害。2人はその後、自らに銃を向けた。

 米国でコロンバイン高校の銃乱射事件は大きな転換点となり、模倣犯罪を引き起こしたほか、新たな安全対策を学校に導入させるきっかけともなった。そして永遠に、コロンバインの名は無差別暴力の代名詞となった。

 ルッグセガーさんにとって、コロンバイン高校の事件はその後に受けた十数回の手術を含む、長い道のりの始まりだった。

 家族に対する過熱報道の中、入院中の数週間はぼうっとしたまま過ぎていった。ただ、世界中からあふれんばかりの見舞いの声が届けられたことは一つの救いだった。

 若き日のジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)さん率いる米男性アイドルグループ「イン・シンク('NSYNC)」の見舞いも受けた。暗闇の中でかなった夢だった。

 ルッグセガーさんの右腕は骨移植のおかげで切断を免れたが、動きは制限され、肩は少し傾き、一見して分かる傷痕も残った。精神的なトラウマはさらに深刻だった。事件後、何か月もの間、ルッグセガーさんは両親の部屋でないと眠れなかった。

 また10年間にわたり、激しい心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされた。「車のバックファイアの音が聞こえたり、全身黒づくめの服を着た人を見たりするだけでパニック発作を起こした」

 結婚してから、夫のパトリック(Patrick)さんの助けも借りて、少しずつ恐怖をコントロールできるようになった。銃撃者に自分の心を支配させ続けないようになった。

 4人の子どもの母親となったルッグセガーさんは、自身の経験について本を書き、啓発的な講演者として活動している。