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【11月16日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)邢台市(Xingtai)臨西県(Linxi)搖鞍鎮(Yaoan)の郷楊黄営村でこのほど、唐代永淳元年(紀元682年)の墓誌銘が農地を整備をしていた村民によって発見された。1337年前のものとみられる。同県の歴史・文化専門家は銘文から、三国志で有名な軍師、沮授(Ju Shou)の子孫のものと判断した。 

 文献資料によると、沮授は後漢末期の名武将、袁紹(Yuan Shao)の幕下にいた軍師。袁紹の配下で青州、并州、幽州を奪取し、河北を統一した。「官渡の戦い」で大敗を喫した後、曹操軍の捕虜となった。その後、河北への脱走を図ったため処刑されたという。

 墓誌は青石製の正方形で蓋はなく、47センチ四方、厚さ12センチ。銘文は19行、405字から成る。「行楷」(行書と楷書の中間の書体)で刻まれた文字は滑らかさと流暢さ、および優雅さと力強さを備えている。また、唐代初期の官職「上柱国(じょうちゅうこく)」に就いていた子孫の沮義成(Ju Yicheng)の先祖や父親世代の境遇、功績、栄転といった家族史が記されており、主人の品性・教養などが称えられている。

 同県文物保護所の張霞(Zhang Xia)所長によると、同地で見つかったこの墓誌銘は、冀南地区における唐代初期の歴史資料を充実させ、唐代の軍隊制度を裏付けるものとなったほか、当時の葬儀にまつわる風習や地域文化を理解し、歴史的な沿革を考証する上で、重要な意義があるという。(c)Xinhua News/AFPBB News