【11月12日 CNS】「私の人生は『淮揚菜』の普及だけをやりました」――居長竜(Ju Changlong)さんは、弟子とともにつくったレストランで自身の人生を振り返った。日本に30年滞在し、淮揚菜(Huaiyangcai、江蘇省発祥の料理)と日本料理を結合した独創的な「居式料理」をつくり出した居さんは、今年で79歳になるが、しっかりとした足取りで肌艶もよく、笑顔で「淮揚菜をつくり始めてから、包丁を手放したことはない」と話す。

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 淮揚菜の起源は春秋時代までさかのぼる。隋から唐にかけて河川輸送の発展とともに盛んとなり、明清の時代にはピークを迎える。淮揚菜は鲁菜(山東料理)、川菜(四川料理)、粤菜(広東料理)と並び、漢民族の四大料理とされている。

 中国で現存する200種余りの包丁の技は、淮揚菜のなかですべて使われる。淮揚菜のなかでもっとも有名な料理は、淮安市(Huaian)の「平橋(Pingqiao)豆腐」と揚州市(Yangzhou)の「文思(Wensi)豆腐」だろう。いずれも軟らかい一丁の豆腐を紙のような薄さに切り、菱(ひし)の形にし、頭髪のごとく細く長く切れない。

 居さんは1959年に蘇北農学院食堂に入り、コックとなる。これが料理の道に進む第一歩だった。1971年には技術試験に合格し、北京の国賓館に赴き、江蘇料理担当となる。1975年になると揚州西園飯店に異動、コック長を務めた。

 そして1988年の春、千葉県からの要請を受けた揚州市外事弁公室により、居さんは同県にある知味斎飯店(Chimisai)に派遣され、中国料理を伝授することになった。

 居さんは2009年に揚州に戻り、「揚州居氏料理研究室」を創設。故郷で120種の淮揚菜を一冊の本にまとめ、「居氏淮揚食単」と題する本を出版した。また、諸外国から来た弟子を受け入れ、「淮揚菜の伝統を守り、各地の料理の特徴と日本料理の長所を結び合わせて、伝授に努めていきます」と語った。(c)CNS/JCM/AFPBB News