【11月5日 Xinhua News】中国春秋時代後期の越王・句践(Gou Jian、こうせん)による「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の故事は日本でもよく知られるが、中国東南部の沿海地域にあった越国の歴史は、いまだ多くの謎に包まれている。しかしこのほど、考古学者による3年余りの調査により、浙江省(Zhejiang)湖州市(Huzhou)安吉県(Anji)で越国の上級貴族のものと思われる陵墓が初めて発見された。少なくとも2500年以上前のもので、句践が没したとされる紀元前465年よりも古いという。

【関連記事】2000年前に鋳造、「越王句践剣」公開 杭州市の西湖美術館

 中国の多くの考古学者は、同陵墓が君主クラスの墓である可能性を指摘。今回の発見は越文化の研究だけでなく、中国帝王陵墓の制度の研究にも役立つとの認識を示した。その影響は日本にも伝わったとする意見もある。

 陵墓は安吉県逓舗(Dipu、ていほ)街道古城村で見つかった。地上に盛り土をした大型の土墩墓(どとんぼ)で、周りには三十数基の陪葬墓が配置されており、その外側には長さ630メートル、幅21~23メートル、深さ1.4~1.7メートルの空堀がめぐらされていた。これらは安吉古城遺跡の「竜山越国貴族墓群」の一部に当たる。

「八畝墩」大型墓は2011年と2014年に2回盗掘に遭った。警察は事件解決後に4点の原始磁器を押収。文化財部門はこれらを春秋時代後期の副葬品と暫定的に判断した。2016年3月、国家文物局は同遺跡に対する緊急発掘調査を許可した。

 浙江省文物考古研究所は3年余りの年月を費やし陪葬墓31基の発掘調査を完了させた。遺跡からは土器や磁器、玉器、石器などの副葬品346点が出土した。主墓の発掘では東西方向に甲字形をした坑道を発見。墓口は長さ15メートルで幅5メートル、墓道は西に開口し、全長9メートル、幅2.5~2.7メートルであることが分かった。

 主墓の北側には長さ23メートル、幅1メートル以上の器物坑も見つかった。中には印紋土器と原始磁器が整然と置かれていた。

 発掘を主管した同研究所の田正標(Tian Zhengbiao)研究館員によると、器物坑はこれまで発掘された越国墓の中でも規模が最大で、一部の印紋陶器には動物の骨や貝殻が残されているなど極めて研究価値が高いという。

 考古学者は、多くの証拠をもとに主墓の年代を春秋後期、被葬者の身分を王侯クラスの越国の大貴族と特定した。主墓の造営年代は、句践の父で最初に越王を称した允常(Yun Chang)のものとされる紹興(Shaoxing)の印山大墓よりも古いとされた。北京大学(Peking University)の徐天進(Xu Tianjin)教授や中国国家博物館の信立成(Xin Licheng)研究員、江蘇省(Jiangsu)文物考古研究所の林留根(Lin Liugeng)所長らは、今回見つかった墓の主人も越国君主または王クラスの人物ではないかと推測している。

 土墩墓は古代中国の南方で長く用いられた埋葬方式の一つ。地下水位が浅いため、古代の人々は地面に高く盛り土をし、そこに墓穴を掘った。

 林氏は、江南地方に土墩墓は多いが、呉越両国の王クラスの墓は少ないと指摘。呉王墓はいまだ発見されておらず、越王墓もこれまで確認されたのは印山大墓のみだと説明した。「八畝墩」大型墓は印山に続く重要な発見だという。

 訪問学者として日本に滞在したことのある学者は、視野をさらに東アジア一帯まで広げている。四川省(Sichuan)考古研究院の高大倫(Gao Dalun)元院長と中国考古学会の王巍(Wang Wei)理事長は、同陵墓の造営方式が古代日本の幾つかの陵墓に似ているという考えに期せずして一致した。両氏は同陵墓の発見が古代越文化の外部伝播の証明になるのではないかと推測する。(c)Xinhua News/AFPBB News