【11月4日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)占領下のフランスでレジスタンス運動に参加し、ユダヤ人の脱出を助けたイベット・ランディ(Yvette Lundy)さんが死去した。103歳だった。フランス当局が3日、明らかにした。ランディさんはその運動が原因で自身も強制収容所に送られ、戦後は仏独の和解を訴え続けた。

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 ランディさんはフランス北東部、シャンパンの産地にあるエペルネ(Epernay)近郊の農家に、7人きょうだいの末っ子として生まれた。ドイツによる占領時、教師だったランディさんは町役場でも働いており、そこでの仕事がレジスタンス組織に加わるきっかけになった。

 ランディさんは1940年から、兄のジョルジュさんが自身の農場にかくまっていたユダヤ人らをはじめ、ドイツ国内の義務労働徴用(STO)から逃げ出した男性らや、逃走した捕虜らに偽造文書を提供した。

 しかし1944年6月、ナチスの秘密警察ゲシュタポ(Gestapo)の捜査の手が伸び、当時28歳だったランディさんは勤務先の学校で逮捕された。

 ランディさんはベルリンの北約80キロに位置する、女性と子どもだけの唯一の強制収容所、ラーフェンスブリュック(Ravensbrueck)に収容された。

 ランディさんは、同収容所に着くなり、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)の隊員らの目の前で服を脱ぐよう強要された。その時に経験した人間性の剥奪を決して忘れないと語っていた。

 ラーフェンスブリュックで約1年を過ごしたランディさんは、今度は中部ワイマール(Weimar)近郊の強制労務部隊に送られた。同部隊は1945年4月、ロシア軍によって解放された。

 ランディさんは2017年、AFPのインタビューで「今でも毎日一度は収容所のことを思い出す… 大抵、夜眠りに就く前に」と話していた。

 ランディさんは戦後15年近くたってから、当時の経験を語り始めた。フランスやドイツの学生らを対象にした講演を重ねた。

 エペルネのフランク・ルロワ(Franck Leroy)町長はAFPの取材に対し、ランディさんは「戦争と、特にフランス・ドイツ間の和解をめぐる独自の見解」を持っており、「仏独和解が非常に重要だと信じていた」と話した。

 そして、ランディさんの「記憶を風化させてはならないという義務への類いまれな献身」をたたえた。(c)AFP