【11月7日 AFP】旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)政府の報道官だったギュンター・シャボウスキー(Guenter Schabowski)氏はある質問を受けると、困惑して頭をかき、眼鏡をかけ、ためらい、手元にあった手書きのメモを探った。

 それは、東ドイツ国民の出国規制緩和はいつ発効するのかという質問だった。シャボウスキー氏は、あたかも自分が読んでいる内容を理解するために努力がいるかのように、たどたどしく答えた。「私の知る限り…直ちに」

 1989年11月9日午後7時ごろのことだった。

 共産主義を掲げる東ドイツの社会主義統一党(SED)政治局員のシャボウスキー氏が、ベルリンの壁(Berlin Wall)の無効化を宣言し、報道陣をびっくりさせた瞬間だった。

 シャボウスキー氏は記者会見の最後の質疑応答で、この言葉をうっかり口にしてしまったようにも見えた。しかし、後戻りはできなかった。

 ベルリンの壁の突然の崩壊、そして共産圏全体の崩壊への序章となったこの発言について、30年後の今でも議論は絶えない――共産主義国家の上意下達の中で起きたぶざまな誤解の末の失言だったのか、それとも限界が見えていた一党独裁体制による計算づくの行為だったのか。

 当時、東ドイツでは大量の国民が西ドイツに脱出し、国内では毎週のように大規模な抗議デモが行われていた。だが、旧ソ連の衛星国だった東ドイツは、もはやソ連の介入は頼りにできなかった。ソ連指導部の論調は変化し、最高指導者だったミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)氏は「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」を掲げていたためだ。

 こうした状況を背景に、シャボウスキー氏は1989年11月9日の夜、党委員会でその日に決定されたばかりの政令をテレビの生中継で発表する役を任された。