【11月10日 AFP】ロシアの伝説的自動小銃「AK47」の生みの親ミハイル・カラシニコフ(Mikhail Kalashnikov)氏の生誕から10日で100年を迎えた。ロシアの英雄とたたえられた同氏は晩年、自らが設計した銃で大勢の人が殺されていることに苦悩していたという。

 ロシアの首都モスクワ西部にある勝利博物館(Victory Museum)では、AK47の特別展が開催されており、若い士官候補生ら来場者が銃を組み立てたり、自撮りをしたりしていた。同博物館のアレクサンドル・エルマコフ(Alexander Yermakov)副館長は、カラシニコフの物語が「次世代のカラシニコフ」を刺激することを期待していると話す。

 2013年に94歳で亡くなったカラシニコフ氏は、ロシアの国民的英雄であり、軍の栄光の歴史の象徴だと考えられている。旧ソビエト連邦時代にはあらゆる主要な賞を受賞し、2009年にはロシア政府から市民に授与される最高の栄誉称号である「ロシア連邦英雄(Hero of Russia)」を授与された。

■全世界で1億丁以上

 カラシニコフ氏は1919年11月10日、シベリア(Shiberia)の村に生まれた。父親がクラーク(富農)と認定され、追放されるなど悲劇的な幼少時代を送った。1941年にナチス・ドイツ(Nazi)との戦いで負傷し、療養した。この時にAK47の設計アイデアを思い付いた。1945年にコンペティションに試作品を出品、その後、ソ連軍で使用する武器として推薦された。操作が簡単なことと低価格、耐久性、信頼性が評価され、AK47は急速に広まっていった。

 AK47という名称は「カラシニコフの自動小銃」の頭文字「AK」と、完成した年である1947年の「47」を組み合わせている。これまでに全世界で1億丁以上が販売され、イラクやソマリアなど約50か国の軍隊で採用されている。