【10月25日 東方新報】中国建国10年目に発見された国内屈指の大油田「大慶油田」。今年はその発見から60周年で先月26日の「大慶油田発見日」には、習近平(Xi Jinping)国家主席も祝賀の手紙を発表していた。2016年に全体的赤字に陥り、構造改革が進められた大慶油田だが、今年は見事に復活を果たし、「改革は大慶に学べ」とばかりに「大慶精神」が再び呼びかけられている。

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 1959年9月26日、建国10周年を目前にして黒竜江省(Heilongjiang)松基三井で工業油が噴出したことから、「大慶の年に得た大油田」として「大慶油田」と命名された。この油田の発見は、第二次世界大戦(World War II)後、海外からの輸入石油に依存していた中国のエネルギー事情を一変させ、中国の工業化を躍進させるきっかけとなった大事件でもあった。

 1976年から2002年まで年間5000万トン以上の生産量を誇り、その良質な石油は2003年まで日本にも輸出されていた。2003年から2014年までも年産4000万トンを安定生産するなど、現在までに累計24億トン近い原油を生産し、同時期の中国陸上原油生産のおよそ4割を占めている。累計納税額は2.9兆元(約44兆円)。

 この油田開発は米国などの技術を使わず、中国の独自の技術で行われ、現在まで7万以上の油井が作られた。大量の労働者が投入され、人海戦術で厚い氷の層をやぶり、洗面器やバケツで排水を行って、ボーリング作業を行った奮闘映像は当時の全中国人を鼓舞した。最初のボーリング作業に参加した模範労働者の王進喜(Wang Jinxi)氏をはじめとする大勢の労働者は、「工業は大慶に学べ」のスローガンとともに「大慶精神」「鉄人精神」の象徴としてたたえられた。大慶油田開発チームは周辺26か国・地域での油田開発にも参加、中国工業の背骨を作っただけでなく、世界に同様油田開発の奇跡を起こしてきた。

 振り返れば、この60年は大慶油田は産業報国の旗印であり、民族工業の自主創新の道の「中国ブランド」だった。大慶精神、鉄人精神は、革命時代の井岡山精神、長征精神、延安精神など中華民族の偉大なる精神が受け継がれたものであり、民族が国の栄光のために奮闘する報国パワーの象徴だった。民族の奮闘精神成長の歴史でもあり、中国人の自力更生、艱難辛苦の創業の奮闘の道のりであり、中国石油工業の自主創新、イノベーションの科学技術進歩の歴史でもある。

 2015年になり、大慶油田は原油生産から天然ガス生産を主とする新たなプロセスに入った。しかし、コストと生産高のバランスからいえば規模が大きく、労働者も多く、資源そのものの価値も落ち、伝統のブランド力の優勢も減少する資源型老国有大企業にとっては厳しい時代の始まりだった。2016年には歴史上はじめて全体的赤字に陥った。そして2017年に「大慶油田有限責任会社全面的改革深化指導の意見」が発表され、同年11月に新たにつくられた中国石油集団電能有限会社のもと、経営の立て直しが図られた。

 2018年に傘下機構を62から27に減らし、33.4%の人員削減を行うなど、大規模な改革を行った結果、営業収入、利潤総額、納税額などが持ち直しつつある。今年7月中旬に大慶油田が発表した年中間決算によれば、国内外の原油天然ガス生産量は約2159万トン、そのうち国内生産量は約1547万トン、海外権益油田からの生産量は約427万トン。天然ガス生産量は約23億立方メートルとなり、年なかばですでに目標生産量に到達。見事に復活を果たし、困難にチャンレンジする”大慶精神“は、今なお健在と注目されている。厳しい環境に直面する中国を鼓舞しつづける新時代の大慶油田は、建設100周年に向かって邁進していくと期待されている。 (c)東方新報/AFPBB News