返還国宝青銅器のふるさと、春秋時代「曽国」秘宝の昔と今
このニュースをシェア
【9月25日 Xinhua News】日本に流出し、先ごろ中国に返還された西周後期から春秋初期の青銅器セット「曽伯克父(そうはくこくふ)青銅組器」が17日、北京市の中国国家博物館で開幕した「回帰之路・新中国成立70周年流出文化財返還成果展」で公開された。
現在の湖北省(Hubei)随州市(Suizhou)と棗陽市(Zhaoyang)一帯の春秋時代の諸侯国、曽国の上級貴族墓から盗掘されたこれら8点一組の青銅器は、中国がここ数年、海外の文化財市場での違法取引阻止や国境を越えた返還請求に成功した文化財の中でも最高の価値を持つ。
目にも鮮やかな曽国の「国宝」にはどのような物語が秘められているのか。3000年以上も地下で眠り続けた曽国からはどのような秘宝が出土したのか。
▽驚きの発見「曽侯乙墓」
曽国は「掘り出された諸侯国」と呼ばれており、歴史的な研究は発掘成果を基に行われている。
1978年の曽侯乙墓(そうこういつぼ)の発見は、曽国に関する歴史研究ブームを巻き起こした。「墓葬を開くと中は水浸しで、約200平方メートルの『プール』になっていた。しかし排水ポンプのモーター音と共に水位が下がると、全員が息をのんだ」。今は中華世紀壇世界芸術センターで研究館員を務める馮光生(Feng Guangsheng)氏は、当時の発掘に話が及ぶと今でも興奮を隠しきれない。水の中から現れたのは、木製の柱1本と3段の枠、さらに枠につるされた無数の青銅製の甬鐘(ようしょう)だった。さらに馮氏を驚かせたのは、これほど規模が大きく、鐘の数も多い編鐘(へんしょう)が2000年以上倒れもせず、わずかに二つの甬鐘が泥の中に落ちていただけだったことだ。
整理と計測により「曽侯乙編鐘」は3段の枠に65個の鐘が8組に分かれてつるされていたことが分かった。総重量は2.5トン。これまで中国で出土した編鐘のなかでも、鐘の数と重量が最大で、音律が全てそろった最も迫力あるものだとされている。
▽曽国初期の謎を解き明かす「葉家山の曽国墓地」
2011年に随州市葉家山(Yejiashan)で曽国の墓地が見つかると、曽国の歴史研究は再びブームを迎えた。2011~13年にかけて同墓地で行われた2回の発掘で、春秋時代初期の曽国の共同墓地が初めて出土したことは、曽国の成立過程を研究する上で重要な突破口となった。同墓地最大のM111号墓は副葬品が極めて多く、銘文のある青銅器も多数出土した。
同墓地の発掘調査で総責任者を務めた湖北省文物考古研究所の黄鳳春(Huang Fengchun)研究員によると、考古学者は2011年と2013年の2回に分け、8700平方メートルを調査し、墓葬140基と馬坑7基を発掘。青銅器や陶器、玉器、漆器、象牙器など約6000点(組)が出土した。これらの器物はそれぞれの保存状態が極めて良いだけでなく、組み合わせや共存関係も明確だった。同墓地は「2011年の中国考古学十大発見」に選出されている。
随州博物館の黄建勲(Huang Jianxun)館長も当時の発掘調査に参加した一人。黄氏は、3000年間の眠りから覚めた葉家山の曽国墓地が、曽国初期の歴史と文化に関する謎を解くための証拠をもたらしたと語る。
▽700年の歴史を示す「完全な系譜」
中国国家文物局は今年8月、湖北省随州市の棗樹林(Zhaoshulin)墓地での発掘状況を公開した。曽国の君主と夫人の並穴合葬墓2基の発掘調査は春秋時代中期の曽国に関する考古学的空白を埋め、出土した青銅器の銘文は、史書に記された随国と、史書には記載がないが出土器物にその存在が記された曽国が果たして同じ国を指すのかという「曽随の謎」を解くための重要な証拠となった。
湖北省文物考古研究所の方勤(Fang Qin)所長は、曽国に関する考古学的資料はこれまで、西周時代初期、西周後期から春秋初期、春秋後期(中期も含む)から戦国時代中期の三つの時代区分に集中しており、しかもこれらの歴史区分ごとに、君主クラスの大型墳墓や都城などの重要な遺構が出土したと語る。考古学上の発見から確認できる曽国の歴史は西周初期から戦国時代の中・後期までであり、西周中期であることが明確な文化遺構が発見されていないことを除けば、曽国は700年間という長い年月をかけて豊かな物質文化を築き上げたことになる。
方氏によると、湖北省ではこの10年で、曽国に関する考古学上の新発見が相次ぎ、名前が確認できた同国の君主は21人に上り、うち13人の墓の出土品からは「曽侯」の銘文も見つかった。曽国に関する発掘と研究は今も続けられている。(c)Xinhua News/AFPBB News