【9月17日 Xinhua News】中国福建省(Fujian)の福清市(Fuqing)黄檗(おうばく)文化促進会は8月24日、同市出身の著名在日華僑の劉莉生(Liu Lisheng)氏の協力を得て、日本の古書店から「老子鬳斎口義(けんさいくぎ)」「列子鬳斎口義」「荘子鬳斎口義」という貴重な漢文古籍3部を購入した。これらの古籍は中国で書かれたが、日本に伝わり広く刊行されたため、両国でいくつかの版本が残されている。今回の購入で日本の版本の一つが中国に「逆輸入」されたことになる。

「列子鬳斎口義」と「荘子鬳斎口義」は日本の万治2年(1659年)、「老子鬳斎口義」は宝永6年(1709年)の出版。著者は中国儒学の一派、南宋理学最後の学者といわれる林希逸(Li Xiyi、1193~1271年)。林希逸は現在の福清市魚渓鎮(Yuxi)で生まれ、字(あざな)を粛翁(Su Weng、しゅくおう)、号を鬳斎または竹溪(Zhu Xi、ちくけい)という。ほかにも「竹溪稿」「竹溪詩選」「竹溪鬳斎続集」などの著作がある。

 劉氏はこれらの著作について、黄檗宗の僧侶、隠元禅師の一行が1654年に渡日した際に持ち込んだものが、その後、日本で大量に印刷・出版されて広まったのだろうと語る。

 福清市黄檗文化促進会の林文清(Li Wenqing)会長は、林希逸と黄檗宗との関係を説明してくれた。林希逸の子孫で禅僧の即非如一(そくひにょいつ)は、俗姓を林といい、同市内の黄檗山万福寺で隠元の主な弟子の一人だったという。隠元渡日から3年後に隠元の招きで日本に渡り、15年にわたる布教の中で、隠元が日本で黄檗宗を開くのを助け、隠元入滅後はその後を継いだ。即非如一は詩や書に長けており、師匠の隠元や兄弟子の木庵(Mu An、もくあん)と共に「黄檗の三筆」と称され、江戸時代の日本の文化に大きな影響を与えた。(c)Xinhua News/AFPBB News