【9月15日 AFP】今月6日に95歳で死去したジンバブエのロバート・ムガベ(Robert Mugabe)前大統領の国葬が14日、首都ハラレ市内の国立競技場で執り行われた。ムガベ氏が実権を握っていた37年間、ジンバブエは圧政と経済混乱に見舞われたが、参列したアフリカ諸国の指導者らは解放闘争の英雄とたたえられたムガベ氏に敬意を表した。

 ムガベ氏のひつぎは緑、黒、黄、赤を配したジンバブエ国旗に包まれ、軍楽隊が演奏する中で競技場に運び込まれた。参列者の間からは祈りの声や太鼓の音が湧き起こったものの、埋まっていた座席は全体(6万席)の半分に満たなかった。

 アフリカ諸国の指導者と、キューバやロシア、中国の政府高官らは、かつて植民地時代のゲリラ闘争の指導者だったムガベ氏を汎アフリカ主義の英雄として口々にたたえた。

 南アフリカのシリル・ラマポーザ(Cyril Ramaphosa)大統領が弔辞の中で、最近南アの主要都市ヨハネスブルクでジンバブエなど域内諸国からの移民を標的とした排外主義的な襲撃事件が発生したことについて謝罪すると、参列者らからやじや口笛が湧き起こり、弔辞が一時中断する場面もあった。

 ムガベ氏は2017年に失脚した後、約2年間海外で治療を受けていたが、今月6日、シンガポールで死去した。アフリカの顔として同氏を称賛する声もあるものの、地元ジンバブエでは独裁色を強めて経済運営に失敗し、数百万人規模の国民に祖国脱出を余儀なくさせたことで名を残しそうだ。

 競技場の近くで買い物をしていたコンサルタントのスティーブンさんは「ムガベ氏の在任期間がもたらしたのはモノ不足だ。それが忘れ去られることはない」とした上で、「彼は野党勢力を消し去ることに成功した。彼の葬儀に参列する理由などない」と語った。

 生前は常に対立を引き起こしてきたムガベ氏だが、埋葬地やその時期をめぐっても、親族とエマーソン・ムナンガグワ(Emmerson Mnangagwa)大統領の間で意見が衝突した。親族が国葬の日程と会場に関して反対を取り下げた後、最終的な埋葬は、解放闘争の戦没者墓所に新たに建設される霊廟(びょう)が完成してから行われることになった。霊廟の工期は約30日とされている。

 ムガベ氏の親族は、同氏を辞任に追い込んだ事実上のクーデターにムナンガグワ氏が関与していたことに依然反発しており、首都ハラレから北西のジンバ(Zvimba)にあるムガベ氏の屋敷の地所に埋葬するよう強く求めていた。

 ムナンガグワ氏自身は、ムガベ氏後の政権運営で苦戦を強いられている。今年はガソリン価格の引き上げを発端とする抗議デモが全国に拡大し、野党関係者が弾圧されたり、治安部隊との衝突で17人が死亡したりする事態となっている。(c)AFP/Susan Njanji and Beatrice Debut