【9月10日 AFP】今回の取材の目的は、締め切りに追われた取材では見逃してしまうことが多いその場の雰囲気に完全に浸り、細部に至るまでを捉えることだった。時間をかけて、風景、音、匂いを感じ取ること。その場の実感を伝えること。アルプスの山を独り占めする羊飼いを描くことだ。

(c)AFP / Jeff Pachoud

 通信社の仕事では、時間をかけた取材の機会はめったにない。だが、今は夏だ。アウトドア派のわれわれは、少なくとも丸々2日間、もし必要ならばさらに長く、アルプスの自然の中で過ごすこの機会を大いに歓迎した。

 私の同僚フォトグラファーのジェフは、6月から10月末にかけての山の羊飼いの1シーズン全体を取材するチャンスを狙っていた。われわれは農務省に農業学校での訓練を終えたばかりの羊飼いのリストを要請し、ついにフランス・アルプス(French Alps)南部のゲタンさんにお願いすることに決めた。

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 ジェフがゲタンさんに最初に会ったのは春だった。仏南部の畜産家から輸送されてきた約1300匹の羊が、グルノーブル(Grenoble)の東に位置するグランドン峠(Glandon Pass)下の山に放牧された時だ。

写真を撮るカメラマンのジェフ・パシュー。(c)Gersende Rambourg

 われわれは車を止め、荷物の詰まったバックパックを取り出して、ゲタンさんの小屋に向かってハイキングコースを歩き始めた。寝袋と数日分の食料、ジェフの撮影器材、手土産のワインといった荷物をロバのように背負い、たっぷり1時間登ってようやく目的地に到着した。

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 黒い顎ひげにベレー帽姿のゲタンさんが出てきて、われわれを迎えてくれた。「僕らがやって来るのが見えた?」と尋ねると、「いや、来るのを感じたよ」と答えた。羊たちは彼が少しの間その場を離れたのに付け込んで、ブルーベリーの低木に覆われた急斜面に散らばっていた。ゲタンさんは「やつらめ」とつぶやいて、羊たちの後を追いかけた。

 私たちはバックパックを下ろして、ゲタンさんについて斜面を下りて行った。しばらく話をした後、ゲタンさんはようやくトランジスタラジオのスイッチを切った。「ここは受信状態がすごくいい」と説明してくれた。「一日中、公共ラジオを聴いているんだ」。ラジオが彼のお供なのだ。

 それから数時間、われわれはゲタンさんの後について、緑に覆われた斜面をくねくねと上り下りした。ゲタンさんは何度か腰を下ろし、遠くを見つめた。景色に見とれていたようだった。そして、羊の群れが1か所で草をはむのを終えて次の場所に移ると、その後をまた追うのだった。

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 何時間かした時、石が散乱する斜面に1匹の羊が足を取られ、骨を折ってしまった。ゲタンさんはわれわれに、これは一月に一度あるかないかの最も緊張する出来事だと言った。けがをした羊はパニックになっていた。ゲタンさんは間に合わせの添え木を当てた。

 さらに動かないようしっかりと固定すると、羊はおとなしく従った。羊は目にパニックの色を浮かべ、痛がっている様子だった。だが、私のような部外者には、ゲタンさんが何をしているのか羊が分かって、信頼を寄せているように見えた。

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 われわれはその羊をそこに残し、群れが新しい草を探しに出る後を追ってのんびり歩いた。

「羊に自分たちは自由だと思わせながら、その間ずっと歯止めをかけなければならない」とゲタンさん。どういう意味かすぐに分かった。われわれは羊の周りを円を描いて歩き、羊のリズムに合わせて上ったり下りたりした。しばらくすると、この終わりのないぶらぶら歩きにめまいがするようになった。頂点や峠を目標にするという、普段慣れた歩き方と正反対なのだ。ジェフも私もまずまずの健康体で、私は氷河上の高度の登山コースを踏破したばかりだったし、2人ともつわもののハイカーだ。だがこのぶらぶら歩きには、しばらくすると参ってしまった。

 そのため、一日の終わりにゲタンさんの小屋にようやく戻った時には、2人とも救われた気分だった。羊たちは夜を過ごすために、近くにある囲いにゆっくりと列をつくって入って行った。ゲタンさんは湯を沸かして魔法瓶に入れると、取って返して斜面を下り、けがをした羊にきちんとしたギプスを作りに出かけた。私たちも彼の後を追って走った。羊にギプスを付け終え、再び登って小屋まで戻った時には疲れ切っていた。2週間後、そのせっかくの努力が水の泡となったことを知った。その羊は動きが鈍くなり、オオカミの餌食となったのだ。

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 外はほとんど真っ暗だった。日中に出会った数少ないハイカーや登山家らはもういなかった。われわれはその山を独占していた。

 ゲタンさんが夕食を作り始めた。彼は放牧シーズンの初めに植えたカブを取ってきて、差し出した。われわれは泥を落としてかぶりついた。小さいがとてもおいしい。ゲタンさんは大きな石をいくつか積み上げて作った「かまど」の中に火をおこした。おのでまきを割った。かまどが熱くなると、自家製のブルーベリーパイを中に入れた。ジェフと私はワインの入ったグラスを手に、日没前に山々の頂を照らすアルペングローの赤い輝きを見つめた。やがてそれは消えていった。

 彼がわれわれに出してくれた夕食は、生クリームとベーコン、チーズと玉ねぎであえたショートパスタ。この世の物とは思えない味だった。歩いたり登ったりの長い一日の終わりに山でとる食事は、いつも格別だ。

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 斜面の少し上の方に、水がいっぱいに満ちた手製の流し場があった。ゲタンさんがつないだパイプを通して、氷河の水がそこに流れ込む。また、小屋の脇でも複数の大きな容器に水をためてある。太陽の熱で水が温まり、その湯でゲタンさんは体を洗う。「時々、入浴の真っ最中にハイカーが通りかかる」とゲタンさんが笑いながら語る。「彼らにはお気の毒だ」。また、ゲタンさんは質素なトイレらしきものも作っていた。穴が開いた板を1枚、バケツの上に渡したものだ。

 われわれは小屋の中に入り、まるで山の中の難民のように体を並べて眠った。ゲタンさんと過ごした1日目の終わりだった。

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 翌朝は6時30分に起床した。コーヒーを何杯か飲んだ後、ゲタンさんが羊たちに塩をやるのを手伝った(その日の食欲を維持させるためだ)。この日は暑く、われわれは斜面を上下する羊たちの後を再びのろのろと追った。

 空気が重くなった。午後3時になると空が持ちこたえられなくなり、激しい雷雨が巻き起こった。われわれは洞穴に避難し、チョコレートを食べて嵐が過ぎるのを待った。

洞穴に避難する筆者(左)とゲタンさん。(c)AFP / Jeff Pachoud

 土砂降りの雨にさえぎられて、羊たちの姿を見ることもできなかった。

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 われわれは山の上で、そして眼下の湖の上で光が変化するのを見つめ、魅了された。

 翌日、われわれは小屋を後にした。ゲタンさんに別れを告げ、斜面を下り始めた。ゲタンさんが独り、羊たちと共に残った。彼は再び、山を独り占めすることになった。

このコラムは、AFPパリ本社の写真編集部副部長のジェルサンド・ランブール(Gersende Rambourg)が執筆し、2019年7月30日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

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