【9月5日 Xinhua News】中国山東省(Shandong)威海市(Weihai)の劉公島(Liugongdao)で2日、「威海湾1号」甲午戦争(日清戦争)沈没艦遺跡の保護区域画定論証会議が開かれ、専門家の論証と水中考古学調査の結果、中日甲午戦争で黄海に沈没した清代北洋海軍旗艦「定遠(Dingyuan)」の位置がほぼ確認されたことが明らかになった。

「定遠」は当時、ドイツ・シュテッティン(現在のポーランド・シュチェチン)の造船所で建造された7000トン級装甲艦で、1885年に北洋海軍に配備され、旗艦となった。1894年、甲午戦争の黄海海戦(日露戦争)で主砲の威力と装甲の強力な防御力が示され、一時「不沈艦」とも称されたが、その後の威海衛防衛戦で日本軍の魚雷艇による夜襲を受けて被弾し、損傷。最後は日本軍に奪われるのを避けるために自爆、自沈した。

 今年7~8月、国家文物局の承認を得て、山東省文物局の委託を受けた国家文物局水中文化遺産保護センター、山東省水中考古研究センター、中国甲午戦争博物院、威海市博物館の合同チームが、威海湾で沈没した北洋海軍戦艦の調査、保護を目的に、国内の30人余りの水中考古学専門家や関連技術者を集め、第1回調査を実施した。調査は2017年と18年の水中考古学調査と潜水探査の結果に基づいて行われ、水中探査機器を利用してデータを集め、文献資料と照らし合わせて「定遠」の沈没位置を確認。深さ1~3メートルの厚い泥の層の下に船体を発見し、砲台や弾薬庫付近の位置を確認した上で、150点余りの遺物を発見、回収した。同様の遺物はこれまでに水中で発見された軍艦「致遠(Zhiyuan)」や「経遠(Jingyuan)」の調査でも見つかっている。

 国家文物局水中文化遺産保護センター水中考古研究所の姜波(Jiang Bo)所長は、「定遠」の発見が甲午戦争で沈没した軍艦の調査研究を深めるのに役立ち、甲午海戦史、海軍史、艦船史の研究にとって重要な歴史的、科学的価値があると説明した。(c)Xinhua News/AFPBB News