医学部の入試試験や労働者に対しての理解において「公正」という概念が注目を集めている今日この頃。
世界中でまだ手に入れることができていない国が沢山あり、日本も他人事とはいえない「平和」。
1969年7月20日、NASAが人類初の有人宇宙飛行を実現させた。
人類は人を宇宙に行かせることができるまで賢くなってしまった。
なぜ、そんなにも賢くなってしまった人類が「公正」「平和」について考えることができないのだろうか。
平和とはなんだろう。 漢字だけで見れば平凡で和やかなことというようになるだろう。
今でも世界中で紛争の絶えない地域、国は沢山ある。
日本でも毎日ニュースなどでとても和やかとはいえない情報が飛び交っている。
世の中には自分のことを最優先に考える人が多いのではないかと思う。
賢くなりすぎたが故にどうすれば自分にとってプラスになるのかがわかってしまったのではないか。
公正とはなんだろう。これも同じように見ると公に正しいことというようになるのではないか。
人はどうしても固定概念やその人の育ってきた環境から「自分と違う人」を判断し、嫌う傾向にあるようだ。
だが、公に正しいことを満たすためにはある一定の基準が必要だと思う。
そうしてしまうと「平和」という概念が守られなくなってしまう。
そのため近年ではその人の能力や個性を踏まえた上で「公正」にしようという傾向になってきている。
人類は賢くなりすぎてしまったが故に人として大切なことがわからなくなってしまったのだろうか。
私たちの先祖の苦労があってやっと手に入れることができた、せっかく手に入れることができたこの賢い頭脳をもう少し他の人々のためにも自分のためにも有効活用してみてはどうだろうか。(ペンネーム:カフェオレ)

[日本大学東北高等学校]

[講評]加来賢一(AFPWAAディレクター)
今回のGOAL 16「平和と公正をすべての人に」において、応募作品の多くは「戦争、開発途上国の悲惨な状況など」について描写したレポートが数多く見受けられました。この作品がユニークなのは、そういった紋切型の先入観から離れた視点で写真を選び、「平和と公正」について論考していることです。