【8月22日 Xinhua News】日用雑貨の都として広く知られる中国浙江省(Zhejiang)義烏市(Yiwu)はメード・イン・チャイナが世界に向かうための重要な窓口だが、考古学者の最新の研究により、昔の人は今から8000~9000年前にこの地で生活し、陶器を制作していたことが分かった。

 浙江省文物考古研究所は2014年から義烏市城西街道橋頭村(Qiaotou)にある「橋頭遺跡」の発掘調査を開始した。橋頭遺跡は今から8000~9000年前の新石器文化の遺跡で、これまでに約2000平方メートルの範囲が発掘された。考古学関係者は人工的な環濠を持つ中心の土台を発見し、これが早期の環濠集落であることを確認した。集落とは人類が新石器時代から定住生活を開始し、家族と共に居住するようになってから形成された村またはそれより大規模な集住地である。

 土台の上からは大量の彩陶が出土し、種類としては大口盆、平底盤、双耳罐、圏足盤などが見られた。器物坑に陶器が整然と並べられたものもあれば、砕かれた陶器が放置されたものもあった。浙江省文物考古研究所の蒋楽平(Jiang Leping)研究員は、ここは昔の人が祭祀や宴会など何らかの儀式的な活動を行っていた場所かもしれないと説明した。

 考古学者はさらに、橋頭遺跡で浙江省最古の墓と「最古の浙江人」、すなわち完全な男性の遺骨を発見した。金衢盆地の主成分は赤い色の土壌で、酸性が比較的強い。蒋氏は、この骨が完全に保存されたのは、地元の地層の独特な環境に関係していると思われるが、具体的な理由についてはさらなる研究が必要だと説明した。

 橋頭遺跡は上山文化の遺跡群に属している。上山文化は2000年に蒋氏らが金華市(Jinhua)の浦江県(Pujiang)で発見した上山遺跡から命名された。義烏と浦江は隣り合っており、ともに金華市の域内にある。金(華)と衢(州)盆地を中心とした銭塘江上流およびその周辺地域からは、これまでに上山文化の遺跡20カ所近くが出土している。この遺跡群からは大量の初期稲作の遺構が見つかっており、これは今から8500~1万年あまり前に、昔の人がここで野生の水稲を順化させていたことを示すもので、水稲栽培の中国起源説に豊富な実物資料をもたらしている。(c)Xinhua News/AFPBB News