【8月24日 AFP】1919年、ドイツ・ワイマール(Weimar)に造形学校「バウハウス(Bauhaus)」が設立された。ナチス・ドイツ(Nazi)が政権に就くと、欧州のユダヤ人らは当時英国が統治していたパレスチナに逃れたが、その中にバウハウスのミニマリズム建築を推進する人々がいた。

 テルアビブは今日、誕生から100年を迎えるモダニズム建築の宝庫となっている。

 国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産(World Heritage)に登録されているテルアビブのホワイトシティー(White City)は、約4000棟の建物が立ち並ぶが、中でもバウハウスとその流れをくむ建築物が特に知られている。

 ホワイトシティーという名前は、白いファサード(正面部分)に由来する。ファサードは、流線形のバルコニーとともにバウハウス様式の象徴となっている。

 バウハウスは1919年4月、ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius)によって設立された。古代地中海の港ヤッファ(Jaffa)近くの砂丘にある海辺の小さな村としてテルアビブが誕生してからちょうど10年後のことだった。

 テルアビブの通りでは、ドイツやオーストリア、スイス、スウェーデンからやって来た30人ほどのグループが、バウハウスセンター(Bauhaus Centre)が企画したツアーに参加していた。

 同センターの共同創設者で、心理学者で建築愛好家でもあるスイス人のミカ・グロス(Micha Gross)氏は、バウハウス様式の建築物がこれほど多く集まる都市は世界でもテルアビブ以外はないと、AFPに語った。

 ユネスコによると、モダニストの筆頭である英国のパトリック・ゲデス(Patrick Geddes)が開発基本計画を手掛けたという。

 ツアーではまず、テルアビブ中心部ディゼンゴフ通り(Dizengoff Street)に近いシュラミト広場(Shulamit Square)を訪れる。流線形の丸みを帯びた建物が立ち並ぶ広場は、あらゆる社会階級のための家を造ろうとしたバウハウスの精神を具現化している。