【8月23日 東方新報】2007年に中国・広東省(Guangdong)沖の海底から引き揚げられた800年前の交易船「南海(Nanhai)1号」は、調査が進むたびに大きくニュースで取り上げられている。考古学的に貴重な発見が相次いでいるだけでなく、中国が古代から「国際海洋国家」であったことを体現しているためだ。中国政府が海と陸のシルクロード経済圏「一帯一路(Belt and Road)」構想を推し進めている中、民族意識の高揚を促す役割も果たしている。

 宋代の交易船とみられるこの沈没船は1987年、広東省沖の南シナ海で発見され、「南海1号」と名付けられた。引き揚げ作業は通常、先に貨物を取り出し、後から船体を引き揚げるが、この伝統的手法では船体を破壊する恐れがあり、20年にわたり海底に放置されてきた。

 そして2007年4月、周囲の砂泥と一緒に巨大な鉄製の箱に入れて、水に浸した状態でそのまま大型クレーン船で持ち上げるという、世界でも類を見ない「丸ごと引き揚げ」方式で海上に姿を現した。現在は、広東省陽江市(Yangjiang)の海陵(Hailing)島にある広東海上シルクロード博物館に保存・公開されている。

「南海1号」は推定船長30.4メートル、幅9.8メートル、高さ4メートル。中国と東南アジア、インド、中東などを結ぶ「海のシルクロード」を往来した交易船とみられ、積み荷を満載したまま沈没した。金の指輪やブレスレット、青磁、白磁の皿やわん、漆塗りの器など国宝級のものも多い。金、銀、銅、鉄器、貨幣など数万点の文化財が引き揚げられている。豚や羊、鳥などの動物の残骸があるほか、香辛料やオリーブ、西域風の装飾品もあり、南アジアや西アジアの商人も乗り合わせていたようだ。

 広東海上シルクロード博物館の調査リーダー、崔勇(Cui Yong)氏は「丸ごと引き揚げ方式は大成功だった。私たちの最終目標は、歴史資料の収集でなく、800年前の船上の生活を再現することです」と語る。

 中国では、漢・唐の時代は庶民が海外に渡航することを禁止し、明・清の時代も海外渡航は「国を捨てた」行為とみなされた。その中で、宋は中国の歴代王朝で最も開放的な政策をとった。官庁に海外貿易部門を設け、船舶法も定めて商人らに海外貿易を奨励。造船・航海技術が発達し、貿易により国内経済は潤い、税収も増えた。海外から多様な芸術、文化、科学技術をもたらし、中国の優れた文化・技術を海外に広めていった。これはまさに、中国と近隣諸国の間で巨大な経済圏を築く「一帯一路」構想のモデルのようだ。

 中国政府は、泉州(Quanzhou)や広州(Guangzhou)などに残る遺跡を海上シルクロード遺跡群として世界文化遺産(World Heritage)に登録することを目指しており、「南海1号」も関連遺産となる見通し。「南海1号」が公開されている広東海上シルクロード博物館には昨年、913万人が訪れている。

 「南海1号」は、習近平(Xi Jinping)国家主席が掲げるスローガン「中華民族の復興」を象徴している。(c)東方新報/AFPBB News