ナチスから通信社を奪還した8人の記者、1944年AFP通信の誕生
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■第一報
午前11時半、業務再開を知らせる第一報が伝えられた。
「すべての自由な新聞に奉仕するため、AFPは報道機関の義務である厳格な客観性に基づき、入念に確認および検証されたニュースを配信することを保証する」
この第一報ではまた、消息を絶ったジャーナリストやナチスの秘密警察ゲシュタポ(Gestapo)に捕らえられたジャーナリストらに対する敬意も表された。
■パリ解放
その後数日間、記者らはフランス軍の第一陣がパリに到着するのを待ちながら、自転車で市内を走り回った。仏軍到着のスクープをものにしたのは8人のジャーナリストの一人、バジル・テスラン(Basile Tesselin)だった。警察本部内に張り込んでいたテスランは8月25日、署長の洗面所から電話回線でそれを伝えた。
「(フィリップ)ルクレール(Philippe Leclerc)将軍が午前8時45分、オルレアン門(Porte d'Orleans)を通ってパリに入った。辺りは言い表せないほどの熱狂の渦に包まれている」
そのわずか数時間後、ドイツ軍降伏の報が飛び交った。パリはついに解放された。(c)AFP/Juliette Baillot