【8月20日 AFP】フランス通信(AFP)は、第2次世界大戦(World War II)の混乱のさなかに創設された。仏パリでレジスタンス活動が激しさを増していた1944年8月20日、親ナチス政権の手中にあった通信社に押し入り、編集部を奪還したジャーナリストらによってAFPは誕生した。

 その前日には、レジスタンスのリーダー、アンリ・ロルタンギ(Henri Rol-Tanguy)が、4年間にわたってパリを占領していたナチス・ドイツ(Nazi)に対して蜂起するよう市民に呼び掛けていた。

■ナチスのプロパガンダ機関

 8人のジャーナリストたちは午前7時、パリ中心部のブルス広場(Place de la Bourse)にある証券取引所近くの崩れかけた建物の前に集まった。その建物には、フランス情報局(OFI)が入っていた。

 そこは以前、世界初の通信社「アバス通信(Agence Havas)」の本社だったが、1940年にフランスの親ナチス政権が国有化し、OFIを設置していた。

 踏み込んだジャーナリスト8人のほとんどは、アバス通信の元編集者だった。その一人だったジル・マルティネ(Gilles Martinet)は、2004年のラジオインタビューで当時を振り返り、OFIは「ドイツのプロパガンダ機関となっていた」と語った。

■「動くな」

 ほどなくしてジャーナリストの一団に、パリ解放を計画していたレジスタンス委員会から派遣された警官2人が加わった。武器を所持していたのはこの警官2人だけだった。

 彼らは階段を忍び足で上ると、一斉に通信社になだれ込んだ。中にいた10人が驚いて頭を上げた。

「動くな。誰もここから離れるな」。ジャーナリストたちの中で最年長だったマルシャル・ブルジョン(Martial Bourgeon)が叫んだ。「今から君たちは、ドイツのためではなく、フランスのために働くことになる」。その場にいた1人のドイツ人検閲官は地下室に連れて行かれ、監禁された。編集長はジル・マルティネが務めることになった。

 ジャーナリストたちはすぐに仕事に取り掛かった。最初に行ったのは、ひそかに地下新聞を発行していたグループらと連絡を取り合うことだった。