■リベラルだったプーチン氏

 1999年12月31日に辞任したエリツィン氏の後継者を選ぶ大統領選でプーチン氏は当選した。当時の状況は今とは全く異なっていた。

 プーチン氏が大統領に初めて就任した当時、同氏のインタビューを頻繁に行っていた著名ジャーナリストのニコライ・スワニーゼ(Nikolai Svanidze)氏は、「ロシアは貧しく犯罪も多かったが、それでも民主的な自由主義国家だった」と語り、「プーチン氏は20年間権力の座にあり、あらゆる意味で制限がなくなった。実質的には皇帝だ」と付け加えた。

 政治アナリスト、コンスタンチン・カラチェフ(Konstantin Kalachev)氏も、当時のプーチン氏はリベラルな政治家で、欧米諸国と協力する意思を持っていたが、時間がたつにつれ保守的で敵対的な態度に変わっていった」「2000年代中頃までは、ロシアの政治活動もより活発だった。選挙での戦いも存在した」と指摘する。

 しかし、2004年にウクライナで起こった民主化運動「オレンジ革命(Orange Revolution)」を境にプーチン氏の態度が変わった。ロシア政府は、ロシアの旧ソ連衛星国に対する影響力をそぐため、外国政府がオレンジ革命を支援していたとの考えを持っている。

 これについてカラチェフ氏は、欧米諸国のロシアを見下す態度やイラク、リビアなどへの介入がプーチン氏を幻滅させたとAFPのインタビューで語った。

 だが、リベラルな考えを持つ人々は、最初からプーチン氏に対して懸念を抱いていた。プーチン氏が元KGBのスパイで、首相時代にチェチェン(Chechen)の分離独立派に対して厳しい弾圧を行ったためだ。

 それでも、チェチェン紛争制圧に対する断固とした対応は国民から支持され、プーチン氏は得票率53%で大統領に選ばれることとなった。

 プーチン氏の人気は依然として高い。国民の多くは、プーチン氏は旧ソ連の屈辱的な崩壊後、混乱していた90年代のロシアの威厳を回復した人物と考えているのだ。