【8月2日 AFP】第2次世界大戦(World War II)末期、ポーランドの首都ワルシャワを占領下においていたナチス・ドイツ(Nazi)に対し、市民らが反乱を起こした「ワルシャワ蜂起(Warsaw Uprising)」の開始から1日で75年を迎えた。同市では追悼のサイレンが鳴り響き、人々がしばしの間、黙とうをささげた。

 ワルシャワ市内では午後5時 (日本時間2日午前0時)に交通が一時停止し、歩行者は立ち止まり、犠牲者らに沈黙をささげ敬意を表した。ドイツからの解放と戦後の独立を求めて1944年8月1日に始まった反乱は63日間続いたが、大敗。20万人近い死者を出し、その大多数が一般市民だった。

 この日、ドイツのハイコ・マース(Heiko Maas)外相はワルシャワで行われた追悼式典に出席し、「亡くなった方の遺族や負傷した方々をはじめ、ポーランドの人々に許しを請うためにこの場所に来た」と述べた。また多数の死傷者を出し、ワルシャワをほぼ壊滅させたドイツ軍の攻撃について、「ポーランドに対してドイツ人が行ったこと、ドイツの名において行われたことを恥じている」と述べた。

 1944年、東方からソ連赤軍の侵攻が迫る中、ワルシャワではパルチザン活動をしていたポーランド国内軍(地下軍、AK)約5万人が、首都を占領していたナチス・ドイツに反旗を翻した。その多くは10代後半から20代前半の男女で構成され、ボーイスカウト団体や子どもらまでもが武器を取った。

 しかし、圧倒的な軍備を持つドイツ軍は、反乱者だけでなく一般市民をも虐殺。63日に及んだ激しい戦いの末、ワルシャワはがれきの山と化した。(c)AFP