■宿敵から相棒に?

 中国政府が掲げる目標を自らに取り込んだ三合会の思想は、かつて共産党の宿敵だった犯罪組織の著しい転向を示すもので、忠誠対象の転換は、犯罪組織の柔軟な忠誠心と、中国が持つパワーの高まりを反映している。

 そもそも三合会の起源は、19世紀における中国の友愛団体にさかのぼる。

 中国本土で1949年、共産党が権力を握り、革命を率いた毛沢東(Mao Zedong)が「黒社会」を厳しく取り締まった際、多くの構成員が香港やマカオ、台湾へ逃れ、内戦で敗れた国民党(KMT)のナショナリストらと手を結んだ。

 台湾では、40年近くにわたり戒厳令が敷かれ、数千人が行方不明となって殺害された「白色テロ(White Terror)」の時代、国民党が三合会を動員して敵とみなした勢力に対抗させた。

 だが多くの三合会団体は1990年代初頭、中国が驚異的な経済的興隆を開始したことで、忠誠の対象を転換し始めるとともに、中国政府もこの間、三合会に対して開放的な態度を見せ始めた。

 1993年には当時の公安相が、「こうした人々が愛国的で、香港の繁栄と安定に関わる限り、われわれは彼らと団結すべきだ」と発言している。

 そうして英国の統治下にあった香港が1997年に中国へ返還されて以降、中国政府を最も熱心に批判していた人々の一部は、今度は逆に自分たちが、三合会の襲撃目標になっていることに気付いた。

 2014年、調査報道紙として知られる明報(Ming Pao)の劉進図(Kevin Lau)元編集長が男2人に刃物で襲われ、危うく命を落としそうになる事件が発生。男たちは劉氏を「懲らしめる」ために雇われたと話したという。

 その2か月後、香港で民主派によるデモが繰り広げられた際、旺角(モンコック、Mongkok)地区でデモ参加者が男たちの集団に襲撃された。その後逮捕された男たちの多くは、三合会の有力な組織である「和勝和(Wo Shing Wo)」や「14K」と関係を持っていたことが判明している。

 さらに今年7月21日の襲撃についても、警察筋は香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(South China Morning Post)に対し、先の組織の構成員が関与したとみられると述べている。