【7月28日 AFP】1933年にドイツ国会議事堂で起きた火災をめぐり、ドイツ人による60年前の証言が新たに発見された。ドイツメディアが26日、報じた。オランダ共産党員で労働組合員のマリヌス・バン・デル・ルッベ(Marinus van der Lubbe)が放火犯とする、ナチス政権時代からの主張に対して、新たな疑いを投げ掛けるものだという。

 威容を誇る石造りの建築物である独国会議事堂(Reichstag)はナチス政権下の1933年2月27日、火災によって焼け落ちた。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は、この火災が共産党の策謀だと主張し、弾圧により自身の影響力を強化した。

 マリヌス・バン・デル・ルッベは、ナチスの裁判所で放火および反逆罪で有罪判決が言い渡され、1934年に斬首刑に処された。だがルッベの事案は、依然として議論の的となり続ける。

 一部の歴史家は、ドイツ人がナチスに対して蜂起するよう扇動するため、単独で火を付けたことをルッベが認めたと主張する一方、弾圧を正当化するためにナチス自身が火を付け、ルッベに罪を着せたとする歴史家もいる。

 ドイツの新聞社グループ「RND」は26日、元ナチス武装組織の隊員によって記された、1955年にさかのぼる宣誓供述書を公開。この文書は、独ハノーバー(Hanover)の裁判所のアーカイブで発見されたもので、同裁判所もこの文書を本物だと認めている。

 ナチス武装組織の元隊員で1962年に死去したハンス・マルティン・レニングス(Hans-Martin Lennings)氏の証言によると、同氏がルッベを診療所から国会議事堂へと連れ出したところ、到着した際に何かが燃えている燃える奇妙な臭いに気付いたという。

 独DPA通信は、同氏が戦友であるかのように、ルッベの逮捕に対して抗議していたと説明。証言の一部を引用し、「バン・デル・ルッベを送り届けた時点で、国会議事堂ではすでに火が付いていたとに気付いたのだから、バン・デル・ルッベが放火犯であるはずがないと確信している」と主張したという。

 国会議事堂はその後、大規模な修復作業が行われ、1999年にガラス張りのドームを持つ統一ドイツの連邦議会議事堂として生まれ変わった。(c)AFP