【7月18日 AFP】米連邦最高裁で30年以上にわたりリベラル派を主導し、社会進歩主義に根ざした影響力を行使したジョン・ポール・スティーブンス(John Paul Stevens)元最高裁判事が16日、米フロリダ州の病院で死去した。99歳。米最高裁が発表した。

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 1920年、4人きょうだいの末っ子としてシカゴに生まれ、当初は母親と同じ文学者を目指して学業に励んだ。

 第2次世界大戦(World War II)が始まると、海軍の情報士官として従軍。ハワイ・真珠湾(Pearl Harbor)攻撃を立案した旧日本海軍の山本五十六(Isoroku Yamamoto)連合艦隊司令長官の撃墜作戦に貢献した功績で、青銅星章を授与された。

 だが、山本長官を待ち伏せて撃墜したこの作戦はスティーブンス氏を悩ませ、やがて死刑に対する疑念のもととなる。2010年、米誌ニューヨーカー(The New Yorker)とのインタビューで同氏は、「当時でさえ、特定の個人の殺害を目的とした任務に就くのは何だかおかしなことのように感じた」と語っている。

 戦後は司法の道に進み、1975年に当時のジェラルド・フォード(Gerald Ford)大統領に指名されると、2010年に退官するまで最高裁判事の職を務め上げた。

 2008年には、薬物注射による死刑の合法性を認める一方、「死刑を科すということは無意味かつ不必要に命を絶つことを意味し、認識できる何らかの社会的・公共的な目的への貢献はわずかしかない」との意見を付したことで知られる。(c)AFP