■数学の天才

 フィンリーさんは子どものころから数学にたけ、高校ではオールAの成績を収めた。化学方程式の暗算コンテストで賞を取ったこともある。

 人間コンピューターとしてのキャリアを開始したのは、海軍と協力関係にあった「コンベアー(Convair)」社。今はなき航空宇宙会社だ。当初は、秘書として応募したものの試験に落ちてしまったのだという。

 当時、すべての計算が手で行われていたわけではなく、人間コンピューターの女性たちは電動機械式計算機「フリーデン(Friden)」を使っていた。だが、フリーデンは基礎的な演算しかできず、仕事で必要となる高度な微積分や幾何の計算はできなかった。

 フィンリーさんは結婚後、職場から離れた場所に引っ越したが、車を長時間運転して通勤することを強いられるようになった。そこで、夫からJPLに行ってみたらどうかとの提案があった。夫のピーター氏は、JPLを創設したカリフォルニア工科大学(Caltech)を卒業していたのだ。

 だが、なぜJPLはチームメンバーとして女性ばかりを雇ったのだろうか。

「チームの責任者だった女性は…男性だと自分の指示を聞いてくれないだろうと考え、女性だけを雇った」とフィンリーさんは説明する。「しかも女性は給料が(男性よりも)ずっと低かった。今でもそうだ」