【記者コラム】ヘルメット姿で行われたミサ
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【7月14日 AFP】宗教関連の取材の担当を希望した際、ヘルメットをかぶって仕事をすることになるとは思いもしなかった。
だが、仏パリにある築850年のノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)で火災後初のミサが行われるとなれば、やむを得ない。
ミサは、火災から丸2か月たった日に行われた。取材を許可されたメディアはAFPを入れてわずか3社。フランス語のカトリック系テレビチャンネルKTOと、同じくカトリック系の写真エージェンシー、シリック(Ciric)、そして、わがAFPから記者1人が立ち会えることになった。私はミサ当日まで数日にわたって粘り強く交渉を行い、数枚の写真撮影と動画5本の撮影を許可された。具体的に言えば、写真10枚と、ショート動画5本までだ。
夕方、大聖堂に到着すると、いつものように観光客とやじ馬が押し寄せていた。柵の向こうには白いヘルメットが並べられていた。
大聖堂に入る前には、まず、水を張ったたらいの中で靴底を洗わなければならなかった。靴に付着した、火災で発生した鉛を洗い流すためだ。水滴を拭い、ヘルメットを装着した私たちは内部に足を踏み入れた。
入ってみて、最初に圧倒されたのは、その静けさだ。まるで時が止まっているように思える。小さな礼拝堂に通じるスペースはごく最近、洗浄されたばかりのようで、少し湿っていた。焦げ臭いにおいはまったくしなかった。
身廊の右側部分は立ち入り禁止になっていた。目の前には難を逃れた聖歌隊席が、そして床にはがれきの山が。頭上には、落下物に備えてネットが張られている。屋根があった場所には穴が開き、今は大きな防水シートで覆われていた。
そこには30人ほどが集まっていた。火災後早い段階で大聖堂への立ち入りを許された数少ない幸運な人々だ。「普段は、これほど大勢の前でミサを行いません」。ミシェル・オプティ(Michel Aupetit)大司教は、ほほ笑みながら私に言った。「世界中が見ているのなら、とても喜ばしいことです」。大司教が喜ぶのももっともだ。フランスではこの数十年間、礼拝の出席者数が減り続けている。5月に発表されたフランス人の価値観に関する報告書によると、カトリック教徒と自認する人の割合は、過去40年で70%から32%に落ち込んだ。
神父たちは、聖歌隊席の後ろにある金色の十字架とピエタ(キリストの遺体を膝の上に抱えて嘆き悲しむ聖母マリアの彫像)の前に並んで立った。「見てください。(聖母マリアの)なんと美しいこと」と、1人が言った。何人かがスマートフォンで写真を撮った。大司教が、その有名な聖母子像について誇らしげに説明した。1886年のクリスマスのミサに参列した詩人のポール・クローデル(Paul Claudel)は、この像にいたく感動してカトリック教に改宗したという。ピエタは、ノートルダム大聖堂の象徴的な存在の一つだ。「傷一つありません」。大司教は顔を輝かせて言った。
東方教会の高位に就いているパスカル・ゴルニシュ(Pascal Gollnisch)師は、シリア・アレッポ(Aleppo)のキリスト教徒らから贈られた小さな十字架を大司教に渡した。それは、2012年の爆撃によって屋根が崩落したシリアにある大聖堂の石から作られたものだった。
聖歌隊の先唱者が最後の準備を整えていると、カトリック放送局のカメラマン2人も、白いジャンプスーツとマスク姿で、肩にカメラを担いだ。それはどこか非現実的な光景だった。
午後6時。鐘の音が鳴り響き、先唱者が聖歌を歌い始めると、ベージュと金色の長衣を着て白いヘルメットをかぶった神父たちが祭壇の周りに集まった。ミサが始まった。私は自分のパソコンから短い原稿を送ると、目の前で行われていることに集中した。その光景は、すべてを物語っていた。神父たちの長衣とは不釣り合いな火災の痕跡。私はスマートフォンで撮影しながら、必要なショットにチェックマークを入れた。写真。動画。ワイドスケール。クローズアップ。撮影を進めながら、10人ほどで行われているミサを邪魔しないように努めた。
ミサは45分間行われた。終了後、何人かの神父が周りを見回した。次にここでミサが行われるまで、まだしばらくは時間がかかるだろう。
このコラムは、AFPパリ本社のカリーヌ・ペレ(Karine Perret)記者が執筆し、2019年6月25日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。