【7月8日 CNS】「この前の献血で採った血液は、長興センター病院に送られたんだ。隣の湖南省(Hunan)に運ばれた血液もあるよ」。洪均琪(Hong Junqi)さんの携帯電話のアプリには、びっしりと献血の記録がある。その数は69回に上る。

 中国浙江省(Zhejiang)湖州市(Huzhou)の南潯(Nanxun)開発区潯北村に住む洪さんは58歳。2004年から今年まで献血を続け、成分献血を含めて累計50リットルの血液を提供してきた。近所の市民からは「献血の英雄」と呼ばれている。

「最初はたまたまだった。帰宅途中に献血車を目にして、やってみようと思って入ったんだ。みんなが言うほど怖くなかったよ」。それでも最初の数年間は、家族に黙って献血していたという。「若い時に一度、冗談で『献血したよ』と両親に言ったら、こっぴどく叱られた。血液を採取した針の痕がないか、体中を調べられてね」。家族は献血で体を壊すことを心配していたという。

 献血を初めて数年が経過したが、実際には体に全く悪影響はなく、逆にますます健康になったと感じた。家族も洪さんの献血を理解するようになり、知り合いに献血の良さを紹介するようになった。

 洪さんの献血に関する知識も増えた。血小板など特定の成分だけを採血する成分献血の需要が大きいことを知り、2009年には初めて成分献血を体験した。

 成分献血を1回すれば、特定の血小板などを必要としている患者1人の命を助けることにつながる。しかも成分献血は、体内で成分の回復に時間がかかる赤血球は採血時に体内に戻すので、体への負担は少ない。献血の知識を語り出すと、洪さんの話は専門家のように止まらない。

 洪さんが以前、採血していた移動献血車は成分献血ができず、湖州市の血液センターに行かなければならなかった。血小板を必要とする急患のため、豪雨の中をバイクで1時間以上をかけてセンターに向かい、途中で思いきり転倒したことがあった。「あの時は行くのをやめようかと一瞬頭をよぎったよ。でも、患者の命を救うためみんなが私を待っていると思い、向かい続けたんだ」

 最近は献血人口が増え、以前ほど緊急で血液を必要とする状況は少なくなった。しかし、洪さんは今も2〜3か月に1回、献血を続ける。洪さんの仕事は自動車教習所の教官。毎月、教え子の試験のために湖州に通っており、時間さえあれば、献血に行くようにしている。

 洪さんの通信アプリ・微信(ウィーチャット、WeChat)の中には「A型血小板献血グループ」という情報交換のためのグループトークがあり、洪さんは毎日、血液を必要とする情報はないかとチェックしている。

 献血に「熱中」する洪さんに「献血の良さって何?」と聞く人も多い。洪さんは決まってこう答える。「他人の役に立つとともに、自分も健康になる。すばらしいことじゃないか」

 洪さんは献血時の健康診断をパスするために、普段から脂っこい食事を少なくして、野菜を多く取るようにしている。たばこも酒もやらず、よく卓球をしては汗を流す。教習所で洪さんは最年長の教官だが、「職場の健康診断で私の指標は一番良い」と誇らしげだ。

 長年の献血により、国から何度も「献血の金賞」を贈られている。「こうした名誉は私への励ましになっている。人生のいい思い出だよ」

「献血は何歳まで続けるのか」。この質問に58歳の洪さんはこう答える。「ずっとやりたいが、国の規定では60歳までにしかできない。でも、献血ができなくなったら、献血の宣伝活動をやりたい。愛のバトンを次の世代に渡したい」 (c)CNS/JCM/AFPBB News