編集部注:このコラムは、2019年6月18日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

【7月5日 AFP】その週は、驚きの連続だった。礼儀正しくて信頼の置ける真面目な香港の人々が、5年ぶりに政府に対する大規模な抗議活動を行って世界に衝撃を与えたのだ。

警察が使用した催涙ガスを浴びる、「逃亡犯条例」改正案に反対し香港政府庁舎前に集まったデモ隊(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Isaac Lawrence

 周囲を丘に囲まれ、超高層ビルが立ち並ぶ香港は、私の生まれた街でもある。街はどこも人であふれているが、人々は特に人付き合いがいいというわけではない。私はアパートで3年ほど暮らしているが、同じ階に誰が住んでいるかさえわからない。

香港・九龍地区の高層ビル群(2017年5月16日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 だから6月9日(日)、推定100万人の香港市民が抗議デモを行うため街を埋め尽くした時には、その規模の大きさに驚いた。抗議デモは、中国本土への犯罪容疑者の引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対するため行われた。

 香港では以前にも大規模な抗議デモが行われたことがある。民主化などを求めた5年前の「雨傘運動(Umbrella Movement)」だ。このデモで市内の一部が数か月にわたり機能停止に陥った。

 当時の抗議デモは、香港という街の雰囲気そのものだった。平和的で文明化されていて礼儀正しかった。数百人のボランティアによって救護ブースや携帯電話の充電スペースが設置され、飲料水や軽食が無料で配布された。またボランティアのグループが巡回してごみを拾い、親が抗議デモに参加している間、子どもたちが勉強しながら待てるよう道路に机まで設置された。

香港当局および香港大学生連合会の代表らとの討論を前に準備を行う民主派のデモ参加者。香港・金鐘地区にて(2014年10月21日撮影)。(c)AFP / Nicolas Asfouri

 そのデモには平和や変化を望む確固たる雰囲気が漂っていたが、徐々に勢いを失い、最後は警察によって排除された。デモの後、現場を最初に通り掛かった時のことは今も覚えている。職場からフェリー乗り場へ行くためタクシーに乗っていたのだが、デモ隊が占拠していた道路にはチョークで書かれた文字や落書きが残されていた。それから数週間、通勤途中にそこを通り掛かるたびに、同僚たちと道路上に立っていた時のことを思い出した。私はそこで行われたことの痕跡を探したが、それは徐々に消えていき、いつしか街は元の日常に戻っていた。

香港の商業ビル群。環球貿易広場から撮影(2018年5月25日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 6月9日(日)に人々が通りに集まった時、誰もが驚いた。だが2014年の抗議デモのような形に発展する兆しはすぐには見られなかった。香港政府は、法案は予定通り可決されるとの見通しを示していた。デモの翌日に休暇から戻った私は、こういうことがまたすぐに起こると思うかと同僚に尋ねたが、たぶん起きないだろうと彼らは言っていた。その後も抗議活動はあちこちで行われたが、大規模なものに発展する様子はまったく見られなかった。

「逃亡犯条例」改正案に反対する人々の抗議集会を監視する警察官(2019年6月10日撮影)。(c)AFP / Philip Fong

 そして6月12日(水)。

 私は同僚と一緒に街の中心部に向かっていた。数時間の仮眠を取った後で街に戻る途中だったのだが、金鐘(Admiralty)駅を出たところであぜんとした。

 大勢の人が、歩道と車道の間にあるコンクリートの壁を乗り越えて道路に押し寄せていた。私たちは一瞬、その光景をぼうぜんと見つめた。

香港特別行政区立法会と香港政府庁舎の近くの路上を占拠するデモ参加者ら(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 それはまるで波のようだった。人々は手を貸し合いながら、バリケードを乗り越え通りに広がって行った。

「それじゃまた!」私はカメラマンの友人に大声で言った。彼はにやっと笑い、私たちはすぐに仕事モードに入った。コンクリートの壁によじ登る際、誰かが助けてくれた。私はそこから写真を何枚か撮った。

 頭の中に幾つもの考えがよぎった。この規模に圧倒されてはいけない、何が起きているか見極めることだけに集中するんだ、速く写真を撮って編集部に送らないと!

「逃亡犯条例」改正案に反対し香港政府庁舎前に集まった人々に対して使われた催涙ガス(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 私は何枚かの写真を撮影し、そのうち最も良いもの3枚をカメラのWiFi機能を使って自分の携帯電話に送信し、さらに編集部に転送するため携帯電話を頭上に掲げた。こうすることで携帯電話の電波が入りやすくなる。緊迫した状況下では、大勢の人が同時に携帯電話を使用するため、いつも写真を送るのに苦労する。

 じりじりしながら待っていると、ようやく画面に送信完了の表示が出た。ありがたいことに私たちには、現場の様子を捉えるカメラマンとそれを配信する編集者がいる。私はただ写真を送り、後は彼らに任せればいい。だから現場では写真を撮ることだけに集中できる。この時に送った写真のうちの1枚は翌日、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の1面に掲載された。

香港政府庁舎近くの路上を占拠するデモ隊(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 だがのんびりしている暇はなかった。写真を撮って送り続けなければならなかった。デモは大規模なものになりそうだった。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会の間、香港政府庁舎前の道路を封鎖するデモ隊(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Dale De La Rey

 2014年の雨傘運動を取材した経験があったため、今回の仕事は前回よりもやりやすかった。撮影にもってこいの場所を幾つか覚えていたし、写真でどう伝えるかというノウハウも知っていた。現場が少しざわつき始めたのは、その時だった。

 今回の抗議デモにあたり、デモ隊と警察の双方は周到な準備をしていたようだった。5年前の雨傘運動が教訓になっているかのように、人々はどう行動すればいいか心得ているように見えた。例えば多くのデモ参加者たちは地下鉄の片道切符を使って市中心部にやって来ていたが、それは定期券を使うとその駅を利用した履歴が残ってしまうからだった。片道切符なら個人を特定できない。こうした情報は、ソーシャルメディアで拡散していた。

香港政府庁舎前で起きた警察とデモ隊との衝突で催涙弾を投げ返す男性(中央、2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 デモの中心に着いた時にはすでに医療チームが待機していた。そして驚くほどの速さでバリケードが設置された。バリケードは、5~6個の金属製の柵をプラスチック製のひもでつなぎ合わせたとても重いものだったが、それを作り、特定の場所まで引きずって行くのにほんの短時間しかかからなかった。

 警察はもっと準備に抜かりなかった。2014年の雨傘運動では催涙ガスが使われたが、群衆の解散には至らず、かえって警察に対する人々の不信感をあおっただけだった。そのため警察はそれ以上、強硬な手段に出るのをやめ、上から命令が下されるのを待って群衆の排除を行った。

 だが今回は催涙ガスが150回以上使われ、群衆も比較的早く排除された。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会の後に起きた衝突でデモ参加者らに向かって叫ぶ機動隊(2019年6月10日撮影)。(c)AFP / Philip Fong

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会に参加中、催涙弾を受けて医療ボランティアに支えられる男性(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 幸運なことに、AFPの管理部はデモの取材時にガスマスクとゴーグルを持っていくよう常にスタッフに指導していた。私は普段、どうせ何も起きないだろうと思い、それらを携帯するのをなんとなくばからしく感じていた。それに敵意ある環境に置かれた場合の対処法も学んだことがあったが、そうした知識に頼る機会もないだろうと高をくくっていた。だが6月12日、催涙ガスが使われた。私は装備と知識があったことに心の底から感謝した。

 こうした経験は初めてだった。私の周囲にいた人々は、激しくせき込んだり目を水で洗い流したりしていた。だが私はガスマスクとゴーグルのおかげで正常に呼吸ができ、至って冷静に仕事を続けられた。周囲の人々が苦しそうにしている中で、自分だけ普通に呼吸できるのが奇妙に感じられたが、とにかく私は撮影を続け、何人かの介抱までした。

催涙ガスの中に立つ警察官。「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会が行われた香港政府庁舎前で(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Isaac Lawrence

 周囲に漂っていた煙が消えると、香港政府は法案を破棄するつもりはないと断言した。デモ隊も一歩も引かず、次の日曜日に再びデモを行うことを呼びかけた。私と同僚はその後どうなるのかまったく予想できずにいた。

 1997年に香港が英国から中国へ返還されて以後、住民たちは未来を自分たちの手で決められなくなってきていることに大きな不満を抱いている。抗議のスローガンとして良く知られるのが、「香港は中国ではない」という言葉だ。だが中国政府は近年、香港への支配を強めており、人々は不満を募らせているように思う。住民たちは、香港を中国の一部と感じていない。だが中国は自分たちの決定や法律を押し付けてきた。12日の衝突は、さらなる抗議デモを行わせることになるのか、あるいは思いとどまらせることになるのか。私たちは目を充血させながらそう考えた。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会の後、香港・金鐘地区のメインストリートを占拠しバリケードを築くデモ参加者(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議デモの翌日、通りに残されたごみの横を通り過ぎる警察官(2019年6月13日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 その後、衝撃的な出来事があった。林鄭月娥(キャリー・ラム、Carrie Lam)行政長官が、改正案審議の延期を発表したのだ。だが完全撤回にまでは踏み込まず、世論を鎮めることが狙いのようだった。だがこれで私たちには、次に何が起きるのかまったく予想が付かなくなった。人々はそれでもデモを行うのか、あるいは自宅にとどまるのか? 12日より激しい衝突が起こるのだろうか?

香港特別行政区立法会の前を占拠する人々の前に立つ民主派議員の胡志偉(ウー・チワイ)氏(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Philip Fong

 世界のトップニュースとなる出来事が地元で起きることには慣れていなかった。5年前の抗議デモの際には私はオフィスで写真編集の仕事をしていて、現場でサポートが必要な時だけ撮影に行った。だが私は今、カメラマンとして働いており、こうした経験をするのは初めてだった。

 香港に住み、仕事をしていると、こうした大規模な出来事を取材する時には遠くへ行くのが普通だ。そんなことがすぐそこで起きるとは予想もしない。

 6月16日(日)、香港ではまたも驚くべきことが起きた。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議デモに参加し路上を埋め尽くす人々(2019年6月16日撮影)。(c)AFP / Str

 じっとりとした蒸し暑さの中、さらに多くの人々がデモに参加したのだ。その数は200万人と推定されており、もしそれが事実であればこの街で起きた抗議デモの中で過去最高の規模となる。警察官も大勢配備されていたが、増え続ける参加者らをあおらないようにするためか、ほぼ終日、静観しているだけだった。

 この日、衝突は生じなかった。警察はデモ参加者らが路上にあふれることを容認しているようだった。デモ隊も、5年前の雨傘運動の時と同じように平和的だった。

 群衆で埋め尽くされた道路を救急車が通行しようとした時には、人々は道を開けて救急車を通した。この感動的な光景に、人々から拍手が起きた。それはまるでその日のデモを象徴しているかのようだった。香港の人々は、平和的に抗議運動を行うことができる。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会に参加した人々の間を通り抜ける救急車(2019年6月16日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 翌朝になって警察が、デモ隊に解散を求めた。だがそれは命令ではなかった。ちょっとした小競り合いの後、参加者らは帰って行き、道路の封鎖は解除された。

 このデモの規模の大きさに、誰もが驚いていた。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会に黒い服を着て参加する人々(2019年6月16日撮影)。(c)AFP / Dale De La Rey

 歴史に残るこの街の大きな転換期が目の前で始まっていた。街の支配権を徐々に中国に奪われていることに不満を募らせた住民らは、一昔前に直面した人権侵害が別の形で再び繰り返されることに抗議の声を上げたのだ。6月9日の平和的な抗議デモはうまく行かなかった。人々は政府に対する不満を募らせ再びデモを行ったものの警察に阻まれた。催涙ガスやゴム弾を浴びせられても住民が退却を拒否すると、市当局は少し譲歩した。だが「ノー」の嵐を鎮めることはできず、デモ参加者の数はさらに増えた。「私たちを黙らせることはできない」。横断幕にはそう書かれていた。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会に参加した人々。スローシャッターで撮影(2019年6月16日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会の途中、路上に寝そべる参加者(2019年6月17日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 今後どうなるのだろう。私にはまだわからない。大規模デモの翌日、雨傘運動のリーダーの一人が釈放され、林鄭行政長官の辞任を訴えた。

出所後、香港特別行政区立法会の前に集まった人々の前でスピーチする民主化活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏(2019年6月17日撮影)。(c)AFP / Anthony Wallace

 今なら何が起きても不思議はない。今週末はどうなるのか、私はまったく見当もつかずにいる。

このコラムは、香港を拠点に活動するアンソニー・ウォレス(Anthony Wallace)カメラマンがAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者とともに執筆し、2019年6月18日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

「逃亡犯条例」改正案に反対する抗議集会の後、休憩するデモ参加者(2019年6月12日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal