【7月4日 Xinhua News】中国河南省(Henan)許昌市(Xuchang)にある春秋楼(Chunqiulou)は、関羽(Guan Yu)が曹操(Cao Cao)との戦に敗れ、一時的にその軍門に下った後に住んでいたとされる建築群。元代以降に周辺の建物などが改めて整備され、春秋楼一帯の古い建築群からなる観光地「許昌春秋楼」は現在、同省の重点文物保護単位となっている。

 「三国志・蜀書」によると、建安5年(西暦200年)、劉備(Liu Bei)は攻め込んできた曹操に敗れて袁紹(Yuan Shao)の元へ逃げたが、その際関羽は曹操の捕虜となってしまう。曹操は関羽を偏将軍に任命し、礼をもって厚くもてなしたという。言い伝えによると、関羽は下邳(Xiapi)で曹操に敗れた際、劉備の甘(かん)・糜(び)両夫人の安全を守るべく、曹魏の武将・張遼(Zhang Liao)と三つの約束を交わし、一時的に曹操に降伏して許昌に身を委ねた。のちに曹操に豪邸を授かったが、関羽は人目をはばかり、家屋を二つに分けて両夫人を内院に住まわせ、自身は外院に住み、部屋でともしびの下で「春秋」を夜明けまで読みふけったという。「春秋楼」の名はそれに由来している。

 2016年7月24日に撮影した許昌春秋楼建築群の一角。(c)Xinhua News/AFPBB News