【6月3日 AFP】天安門事件が中国を揺るがした30年前の春、米国出身の人類学者、カール・ハッタラー(Karl Hutterer)さん(49)は1989年6月、宿泊するホテルの屋上で、中国警察が広場に向けて催涙ガスを発射し、夜陰に紛れて警棒を振りかざす治安部隊が展開する様子を見つめていた。

 ハッタラーさんは首都・北京の天安門広場(Tiananmen Square)近くにいたのではなく、そこから1800キロ以上離れた同国南西部の都市、成都(Chengdu)の現場に居合わせたのだった。

 北京は学生が主導する抗議運動の震源地となり、1989年6月4日には数百人が、もしかすると1000人超もの人が兵士によって殺害されたが、成都を含む多くの都市でも大勢の市民が路上に繰り出した。

 ハッタラーさんの証言は、中国全土で当時、大規模なデモが発生していたことを思い起こさせるものだ。

 AFPの取材に対してハッタラーさんは、「負傷していた、もしかすると死んでいた可能性もある人々が、病院から運び出され、広場から続く道路上を移送されていくのを目撃した」と語った。ある人物は、誰かが撲殺された場所を身ぶりで示していたという。

 中国共産党内部の会議や報告を扱った漏出文書をまとめた書籍「The Tiananmen Papers」によると、1989年5月末までに、中国各地100都市以上で抗議デモが起きていた。

 1989年当時、同国中部の湖南(Hunan)省にある医科大学で英語を教えていたアンドレア・ウォーデン(Andrea Worden)さんは、大規模な抗議運動を目撃。「それは全国規模の大衆運動だった。人々による運動だった。皆が少なくとも、さらなる自由と権利への欲求を共有していた」と述べた。

 しかし、中国当局が組織的に歴史を抹消・改ざんし、それに疑問を抱く人々を処罰する中、地方部での抗議活動に関する話は、北京以外では外国メディアの存在を欠いていたこともあり、その多くが失われてしまった。

 ウォーデンさんは、「こうした話が完全に途絶えてしまうのも時間の問題だ」と語る。