■「感情がまひ」

 多数の死者を出した大規模な鎮圧は王氏を打ちのめした。「感情が全くまひしたことを覚えている。何も考えられなかった。その状態が少なくとも2日間続いた」

 だが、王氏はやがて身を隠す必要があると思うようになった。全ての国営テレビが、王氏の顔を繰り返し報じていた。中国北東部の黒竜江(Heilongjiang)省に逃げた。一時期は上海でも過ごした。

 約1か月後、王氏は自らの絶望的な状況を理解した。「友人の家に隠れているということは、友人たちを多くの危険にさらす可能性があった。迷惑を掛けたくなかった」と王氏は言う。

 そこで自らの地元・北京に戻ると、ほぼ即刻逮捕された。だが、素性が考慮され、「反革命的」行為による禁錮4年という比較的軽い刑ですんだ。

 王氏は「私の場合は非常に特別だったので、刑務所での生活はあまり一般的とは言えなかった。私の状況に対して国際的な注目が集まっていたので、扱われ方は悪くなかった」と語り、「殴られることはなかったし、深刻な拷問もなかった」と続けた。ただ、独居房に入れられていたという。

 王氏は1993年、条件付きで釈放されたが、自由になったという思いはすぐに幻滅に変わった。「毎日警察に後をつけられた。どこに行っても警察が後ろにいた」「あれは別の種類の刑務所だった」