■「本当に特別な人」

 ニキ・ラウダ氏、本名アンドレアス・ニコラウス・ラウダ(Andreas Nikolaus Lauda)氏は1949年、モータースポーツには一切関心のないオーストリア・ウィーンの裕福な家庭に生まれると、1968年には祖母の援助を得て購入したマシンで、両親に内緒で出場したレースで初優勝を果たした。

 ところがF1参戦後の1976年8月1日、ラウダ氏はシーズン5勝を挙げて迎えたドイツGP(German Grand Prix)でマシンが炎上する大事故に遭い、顔と手に大やけどをし、さらに有毒ガスを吸い込んで肺を痛める重傷を負った。それでも、病院で死の淵に立たされながらも奇跡的な回復を見せたラウダ氏は事故から6週間後、まだ包帯が取れず、激しい痛みも残る中、わずか2大会を欠場しただけでレースに復帰した。

 結局そのシーズンは、ジェームス・ハント(James Hunt)氏に逆転されて年間王者は逃したものの、オーストリア人の勇敢さと闘争心を世界に見せつけた両者の争いは、2013年にロン・ハワード(Ron Howard)監督の下で『ラッシュ/プライドと友情(Rush)』として映画化された。

 元F1ドライバーのジョニー・ハーバート(Johnny Herbert)氏は、ラウダ氏を「勇敢で、気さくで、とても面白い」人と評し、「パドックではあなたが恋しくなるでしょうが、ニキ・ラウダは永遠に生き続けます。本当に特別な人だからです」とコメント。MotoGPで世界王者に輝いた元バイクレーサーのケーシー・ストーナー(Casey Stoner)氏も「安らかに、ニキ・ラウダ。真のアイコンにして、モータースポーツ界のレジェンドです」とツイッターに書き込んだ。

 母国の閣僚も弔意を表している。セバスティアン・クルツ(Sebastian Kurz)首相は、オーストリアが「史上最も偉大な人物の一人を失った。勇気と規律、率直さの手本だった」と、アレクサンダー・ファンデアベレン(Alexander Van der Bellen)大統領は、ラウダ氏が「これまでも、これからも、われわれにとってのインスピレーションであり続ける」と発言した。

 ラウダ氏は8か月前に肺の移植手術を受けており、オーストリアメディアは、過去に腎移植も受けている同氏が今月、人工透析のために入院していたと報じている。

 肺の手術を担当した医師によれば、何か特定の死因があったわけではないという。医師はメディアに対して「長い道のりを経て、患者は終点にたどり着いた。ニキ・ラウダは闘った。偉大な男だった。しかし彼を『レーストラック』に戻すことができないのは、しばらく前から明らかだった」と話している。(c)AFP/Julia ZAPPEI