■ピカソの自画像?

 村の画家の一人、シルエ・ナガンキ(Silue Naganki)さんは「スポンジと歯ブラシを使えばもっと早く緻密に描けることを、彼が私たちに教えてくれた」と語る。

 ソロさんが家の中から持ち出してきた「究極の証拠」は、ピカソその人が描かれた木綿のキャンバスだ。キャンバスいっぱいに、はげ頭の白人男性が時には半ズボン姿、時には腰みのをつけた格好で、鉛筆や絵筆、さらには小枝を握っている様子がさまざまに描かれている。

 ソロさんは、これは巨匠の自画像だと言い、疑う余地はまったく無い、素人にもはっきりピカソだと分かると断言した。

 このキャンバスには本物と自ら宣言する証明書が添えられており、旅行代理店が同地訪問の立ち会い証明として署名している。

 ピカソの伝記作家の一人であるジル・プラジ(Gilles Plazy)氏は、さまざまな要素を作品に取り入れたピカソは、この話にさぞ喜んだだろうとAFPに語った。ピカソがファカハを訪問し「魔法使いのように、地方の伝統芸術に新鮮な息吹を送り込んだ」という伝説は、「彼をとても喜ばせたに違いない素晴らしい物語だ」という。

■晩年

 ピカソは1973年に91歳で死去した。村の住民らは、ピカソが訪れたのは年齢的におそらく1968年より前だろうという。

 ピカソは死ぬまで制作活動を続けたが、アフリカの影響が作品に現れているのは晩年だけではない。

 それでも村の若者の一人は、もしファカハ訪問の痕跡が残っていないとしたら、それはピカソが訪問について隠しておきたかったからで、ファカハで着想を得たことを公にしたくなかったからだと説明する。