■「裏切り者」の顔

 バザーリによると、ダビンチは美しい顔や普通とは違う顔を探してミラノ(Milan)の街を歩き回る習慣があったとされる。「一日中、彼の頭の中に姿がくっきりと刻まれるまで…そういった人物を追い続けた。家に戻っても、まるでその人物が目の前にいるかのように簡単に描くことができた」

 だが、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ(Santa Maria delle Grazie)教会の修道院の壁に描かれた「最後の晩餐」のユダだけは違った。ダビンチは「自らの神を裏切ることができるほど邪悪な心を持つ」男の顔をどう描けばいいのかということに頭を悩ませた。

 このため制作は長引き、業を煮やした修道院の院長はミラノ公に苦情を言った。バザーリによると院長は、ダビンチは「時には半日も…作品の前で考えにふけり、まったく進行が見られない」と説明したという。

 ミラノ公に呼びだされたダビンチは、「天才はときに最小の仕事しかしていないように見える。そのときに最大のものを生み出している」と説明し、ユダの顔に加えキリストの顔を決めることができないでいることを明らかにした。そして、それらは「地球では見つけることができないのかもしれない」と語ったとされる。

 ただ、ユダの顔についてはある代替案が用意されていた──院長の顔だ。ダビンチは、これを使う用意があるとミラノ公に伝えていた。

■あのほほ笑み

 ダビンチが多くの人々を驚かせたのは作品中に見られる「ほほ笑みの描写」だった。「モナリザ(Mona Lisa)」よりも有名なほほ笑みはおそらくこの世に存在しないだろう。

 ダビンチは顔の表情に深く魅了されていた。表情をつくる神経の動きを探るために、細部に至るまで解剖学的に探究した。

 ダビンチの伝記を執筆したウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)氏によると、ダビンチは昼間にモナリザを描き、夜になると「死体安置所を訪れて筋肉や神経を観察するために死体の皮を剥いでいた」とされる。

 しかし、(モナリザの)モデルになったフィレンツェ(Florence)の絹商人の若き妻を、ダビンチはどのようにして何時間もほほ笑ませることができたのだろうか。

 ダビンチは何か楽しませるものが必要だと考え、音楽家と道化師を雇ったとバザーリは書いている。事実、画家チェーザレ・マッカリ(Cesare Maccari)による1863年の作品には、ダビンチとその脇にいる音楽家の姿が描かれている。(c)AFP/Gina DOGGETT