【5月2日 AFP】フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)の伝説的ドライバー、アイルトン・セナ(Ayrton Senna)氏がレース中の事故で帰らぬ人になってから、1日で25年を迎えた。1994年に起きた悲劇から現在まで、2014年の事故でジュール・ビアンキ(Jules Bianchi)氏が命を落としたが、死亡につながる事故はその1件にとどまっている。セナ氏の事故は、F1界の安全に対する姿勢を一変させた。

【図解】F1マシンのドライバー保護システム

 サンマリノGP(San Marino One Grand Prix)予選でローランド・ラッツェンバーガー(Roland Ratzenberger)氏、そして決勝でセナ氏の死亡事故が起こったのが1994年。それ以前、F1では1970年代に約10件の死亡事故が起こっていたが、1980年代になるとそれが4件に減り、1986年にエリオ・デ・アンジェリス(Elio de Angelis)氏の事故が起こってから、死亡ゼロが8年間続いていた。

 ところが1994年5月、F1ドライバーと国際自動車連盟(FIA)を震撼(しんかん)させる伊イモーラ(Imola)の暗黒の週末が訪れた。

 セナ氏とチームメートだったゲルハルト・ベルガー(Gerhard Berger)氏は「当時のわれわれは、危険な時代は去ったとうぬぼれていた」「ところがあの件で、実際には何も変わっておらず、たまたましばらく運が良かっただけだと気づかされた。FIAと各チーム、ドライバーはショックを受けた。あの出来事があって、みんなが音頭を取るFIAに協力するようになり、それが非常に良い結果につながっていった」と話す。

 イタリアの法廷は、セナ氏が乗っていたウィリアムズ(Williams)のマシンに急ごしらえで調整されたステアリングコラムの破損が、クラッシュの原因だと結論づけている。

 マシンの設計にも携わり、F1最高峰のエンジニアといわれるエイドリアン・ニューイ(Adrian Newey)氏は、2017年に刊行された自伝の中で「ステアリングコラムが事故の原因だったか、そうでなかったかにかかわらず、絶対に採用すべきではない設計ミスがあった事実に変わりはない」と述べている。

 ニューイ氏は他にも、マシンの不安定さと事故との関連性を指摘している。セナ氏は時速200キロメートル以上でコンクリートの壁に激突し、壊れた右のフロントホイールとサスペンションがコックピットを襲った。そして金属片がセナ氏の頭部を直撃し、命を奪った。