【4月30日 MEE】吹きさらしの山頂に立つクラック・デ・シュバリエ(Krak des Chevaliers)は、シリアの厳しい日差しの中でも矢狭間を通る風で涼しさを保っている。この難攻不落の城塞は今も、本来の役目を果たせる状態にある。

 この城では、ロシア・チェチェン共和国出身の反体制派武装勢力がロシア語で書いたグラフィティや弾痕、今はなき中世の階段があった痕跡など、近年の内戦による傷跡が、過去と溶け込んでいる。

■内戦が起きた時

 クラック・デ・シュバリエの建造は1142年、長きにわたって争いが続くローマ・カトリック系キリスト教地域の巡礼者や交易路を守るために、聖ヨハネ騎士団(Hospitalier Order of Saint John of Jerusalem)によって始められた。その後、約100年にわたって建造や改修が続けられたが、1271年にはエジプトのスルタン、バイバルス(Baibars)の手に渡った。

 シリア中部ホムス(Homs)の西約32キロにあるこの城は現在、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録され、軍事工学の卓越した偉業としての姿を保っている。

 管理人のナイマ・モハルテムさんによると、城にはかつて年間500万人の観光客が訪れていた。しかし2011年にシリア内戦が勃発すると、観光客の足は途絶えた。

■「心が痛む光景」

 だが城は今、再び観光客に門戸を開き、来場者数は国内観光客を主として徐々に増えている。

 首都ダマスカス近郊のサイドナヤ(Saydnaya)から訪れた教師のマナルさんは「7年ぶりに来られて本当にうれしいです。毎年、夏には必ずここを訪れていました」と語った。

 マナルさんは石灰岩の壁に残る無数の弾痕をさし「心が痛む光景です。私たちの歴史が傷つけられ、とても悲しいですが、大きな変化がなかったことにほっとしています」と述べた。

 クラック・デ・シュバリエへの入場料はかつて外国人が200シリアポンド(2011年初頭の為替レートで約350円)、地元住民は50シリアポンド(同約90円)、教師は20シリアポンド(同約35円)だった。入場を再開してからは、入場料は無料だ。

 過去8年間で、わずかながらも外国人来場者があった。ナイマさんによると、最初に訪れたのはフランスのNGO「SOSクレティアン・ドリアン(SOS Chrétiens d’Orient)」のアレクサンドル・グーダルジー(Alexandre Goodarzy)代表だった。グーダルジー代表は、戦闘により城が激しく損傷した、あるいは破壊されたという情報を聞き、「城がまだ建っているか」を確認しに来たのだという。

 同NGOはそれ以降、主にフランスの若者からなるボランティアグループを定期的に派遣し、雑草の除去を行ってきた。

 城の来場者は、いにしえの城壁に囲まれた内部を散策できる。城の豊かな歴史に関心がある人は、考古学の専門家としてこの城で数年、場合によっては数十年にわたり働いてきたスタッフによるツアーも利用可能だ。

 以前は7時間のツアーもあったが、現在は毒蛇がやぶに隠れている場合があるため提供されていない。国際社会による対シリア制裁が続いているため、血清を手に入れるためには隣国レバノンに行かなければならないのだ。