【4月27日 AFP】怒りをあらわにする抗議デモの参加者たち、群衆を殴打する警官、道路に散乱する死体、そして山積みのひつぎ──モノクロのイメージがプロジェクターで投影され、背景にはゴスペル音楽が流れている。

 ここは南アフリカ・ケープタウンにあるハーシェル(Herschel)私立学校の教室。投影されたのは1960年3月21日に起きた「シャープビル(Sharpeville)虐殺事件」を撮影した白黒写真だ。南アのアパルトヘイト(人種隔離政策)にあらがい、命を落とした黒人の犠牲者らの姿に世界は当時、大きな衝撃を受けた。

 この日、同校で歴史を教えるリア・ナッソン(Leah Nasson)氏の授業には生徒20人が出席した。1人を除いて全員が白人だった。多くの女子生徒にとって、反アパルトヘイト闘争を大きく転換させたシャープビル事件について学ぶのは、この授業が初めてだ。

 南アフリカが民主化してから四半世紀となったが、アパルトヘイトについて教えることはまだ難しい。

 教育者にとっては、同国史における悲惨な出来事を感情的にならず、落ち着きをもって説明することがとても困難なのだ。一方の生徒らにとっても、アパルトヘイトの話は苦悩と恐怖、そしてアイデンティティーといった、集合的記憶に触れるものであり、痛み、罪悪感、怒りをいとも簡単に引き寄せてしまう。

 教室内に投影された、黒人居住区の住民69人が警察官によって虐殺されたシャープビル事件のモノクロのイメージは、生徒たちに大きな衝撃を与えた。

「このようなことが実際に起きてしまうということにゾッとした」と、青い制服姿の16歳の白人の生徒は後ろめたさをあらわにしながら発言した。「自分が直接何かをしたわけではないが、国として、国民の一人として、間違ったことが起きたことに罪悪感を感じる」

 白人と黒人の両親を持つ15歳の別の生徒は、「前の世代の人々が…私と同じ肌の色の人々が、このような目に遭っていたと思うと胸が張り裂けそうだ」と語った。この生徒は普段、白人としての扱いは受けないという。

「過去のあらゆる出来事について、今、心配しないといけない状況になっている。あまりにも重過ぎて話題にしないことがたくさんある」