【4月29日 AFP】仏パリのノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)で火災が発生し、市内の通りやセーヌ(Seine)河岸が数千人の見物人であふれた時、AFPのジャーナリストたちは、15時間にわたり燃え続けたこの歴史的建造物をさまざまな角度から写真や映像に記録していた。850年前に建てられた古い建物をのみ込む火の勢いはすさまじく、鎮火には約400人の消防士を要した。

 現場を取材したAFPジャーナリストたちの証言をまとめた。

仏パリ・ノートルダム大聖堂の屋根から上がる炎の鎮火作業にあたる消防当局(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Bertrand Guay

■ルドビック・マラン(Ludovic Marin)、パリ拠点のカメラマン

 屋根全体が炎にのみ込まれるのを見た時は恐ろしかった。私はそれまで大聖堂の内部を何度も撮影したことがあった。その光景を見た時、私は思わずつぶやいた。「もうおしまいだ。すべて燃えてしまう」と。

 屋根が燃えるのを見た時、大聖堂の中で目にしたすべての物が思い出された。

仏パリ・ノートルダム大聖堂のステンドグラス(2018年6月26日撮影)。(c)AFP / Ludovic Marin

仏パリ・ノートルダム大聖堂の内部(2018年6月26日撮影)。(c)AFP / Ludovic Marin

 それはとても恐ろしい光景だった。すべての記憶が一度によみがえり、私は約20秒間、凍り付いた。6か月前には尖塔にも上っていた。内部をよじ登って行かなければならず、まるで狭い井戸の中を上がっていくようだった。

 すると突然、私のプロ意識が戻って来た。私は写真撮影を再開した。

仏パリ・ノートルダム大聖堂の屋根から上る炎と煙(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Ludovic Marin

■アニエス・クデュリエ(Agnes Coudurier)、ビデオ記者

 私はすぐに終わるだろうと思っていた。家族には「デザートの前に帰ってくる」と言って家を出た。

 私は同僚たちと一緒にパリ市庁舎の前の広場に向かい、生中継の準備をした。広場、そしてセーヌ川に通じるすべての通りは、大勢の人々でごった返していた。

 その場の雰囲気は、少し非現実的だった。皆、携帯電話でその光景を撮影していた。自分の目で実際に見ていた人などいなかったのではないだろうか。建造物の内部で何かが崩れ落ちるたびに、皆がはっと息をのんだ。大勢の人々の感情が一気にあふれ出した。

 これほど、この建物を夢中で見ることはもうないだろう、と私は思った。尖塔が崩壊した時には、本当に感情が揺さぶられた。その時点では、死傷者がいるという情報は入っていなかった(後に、消防士1人が負傷したことが分かった)が、歴史に立ち会ったという強い感覚に捕らわれた。尖塔が崩壊した時、私は泣きそうだった。

■ジョフロワ・ファンデル・ハッセルト(Geoffroy Van der Hasselt)、パリ拠点のカメラマン

 私は大聖堂の周りを歩きながら写真を撮影した。私と同僚は、警察が張った規制線のすぐ内側にどうにか入ることができた。私はいつものように、写真を撮っては次の場所に移動し、撮影したばかりの写真を送信した。

 私が最も強い衝撃を受けたのは、屋根が崩壊した時だった。なぜならその様子を見ていた数百人の人々が、一斉に息をのんだからだ。その時にはすでに尖塔は燃えていて、そちらももう駄目だろうと私は思った。私は写真を撮ることに集中しすぎていて、尖塔が崩壊した時、周囲の音はまったく聞こえなかった。

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 また、人々が歌っているのを聞いた時も心が震えた。なぜだかわからないが、私にはそれが宗教音楽のように聞こえた。

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

■エリック・フェフェルベルグ(Eric Feferberg)、パリ拠点のカメラマン

 自分が目にしたものから何度か強い衝撃を受けた。だからいったん手を止め、仕事を続けろと自分に言い聞かせなければならなかった。

 最も印象に残ったのは、大勢の人々だった。彼らは仰天していた。小さな教会のそばでひざまずいている集団もいた。私は大聖堂の崩壊に数時間にわたり立ち会っていたすべての人々に、この建物の完成までに100年の月日を要したことを教えたかった。

 私は先週、小型無人機(ドローン)を使ってパリの主要な名所すべての画像を撮影したばかりだった。その中には、火災に見舞われる前のノートルダム大聖堂の画像もある。その姿は神秘的で、まさにパリの中心だった。

(c)AFP / Eric Feferberg

■フィリップ・ロペス(Philippe Lopez)、カメラマン

 (炎上するノートルダム大聖堂の)写真を撮るためモンパルナスタワーの最上階に向かった。撮影を始める前、しばしその光景を眺めた。それはまるで開いたひつぎのようだった。その時にはすでに尖塔は崩壊していた。炎は建物の内側から噴き出しているようだった。自分が大聖堂の写真撮影をした、すべての瞬間に思いを寄せた。いつも素晴らしい写真が撮れた。特に春、木々に花が咲いている頃は。今はまさにそんな季節だ。

仏パリ・モンパルナスタワーから撮影したノートルダム大聖堂の火災の様子(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Philippe Lopez

■フランソワ・ギヨ(François Guillot)、パリ拠点のカメラマン

 移動は至難の業だった。まるでパリ市民全員が、通りに出て大聖堂の火災を見物しているかのようだった。炎はそんなふうに人をとりこにする。とりわけこういうものが燃えている時は、魅惑的な光景だ。

 私は人々よりも炎を撮影することの方に興味をそそられた。私が気に入った写真の一つは、太陽が隣に写っているものだ。もし炎を噴き上げていなければ、ポストカードに使われただろう。

炎と煙に包まれる仏パリ・ノートルダム大聖堂の屋根(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Francois Guillot

■パトリック・アニジャー(Patrick Anidjar)、パリ拠点の記者

 私はノートルダム大聖堂から100メートルほど離れた場所に住んでいて、自宅でギターを弾いていた時に異臭を感じた。何の臭いなのかはっきりわからなかったため、外の様子を見ようと窓際に行って身を乗り出したところ、大聖堂がちらりと見えた。大聖堂からは黄色い煙がもうもうと立ち上っていて、その煙は正面にある二つの塔の背後から押し寄せてくるようだった。私は携帯電話をつかむと、大聖堂に向かって走った。

炎と煙に包まれる仏パリ・ノートルダム大聖堂の屋根(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Patrick Anidjar

 外は大騒ぎになっていた。どこもかしこも人だらけで、警察が大声を出しながら人々を制していた。私は記者証を見せてどうにか建物に近づくと、写真とビデオの撮影を始めた。

 炎が尖塔のてっぺんに勢いよく駆け上がり、屋根に炎が燃え広がるのが見えた。ノートルダム大聖堂の塔は石で造られているが、背後の構造部の多くは木造だ。私はその部分全体が崩壊するのではないかと心配だった。中に誰もいなければいいが、と私は思った。

 私は数枚の写真と動画を撮影すると、AFP本社の編集者とソーシャルメディアチームに送り、さらに撮影を続けた。だがその約15分後、ネットワークにつながっていないことに気付いた。私が送信した画像や映像はどれも届いていなかった。そのためデータ通信が可能なカフェに行って画像を送信し、その後また元の場所へ戻った。

 私がいない間に、尖塔は崩壊していた。風景は、完全に様変わりしていた。尖塔がないと、まったく別の建造物のようだった。

炎に包まれながら崩壊する仏パリ・ノートルダム大聖堂の尖塔(せんとう、2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

炎と煙に包まれた仏パリ・ノートルダム大聖堂を見守る人々(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Patrick Anidjar

 私の周りにいた人々は皆、泣き叫んだり抱き合ったりしていた。人々からあふれ出る感情に、私は驚いた。「一つの時代が終わった」「これは大惨事だ」「再建しないと」。誰もが、写真を撮っていた。

 すべてが制御不能に陥っているみたいだ――そう思ったことを覚えている。建物の後方部全体が燃えていて、その巨大な炎に向かって2~3本の消火ホースが放水していた。焼け石に水のように見えた。

このコラムは、AFPパリ本社のピエール・スルリエ(Pierre Celerier)記者とヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が執筆し、2019年4月16日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

仏パリ・ノートルダム大聖堂から立ち上る炎と煙(2019年4月15日撮影)。(c)AFP / Patrick Anidjar