■復活は19世紀

 しかし、「ルネサンス期と18世紀にはどちらも、大聖堂は非常に傷んだ状態だった。国王の天蓋(てんがい)を通すために正面入り口をたたき壊すことだっていとわなかったほどだ」とゴバール氏は言う。「ゴシック建築として正当に評価され、修復されるには19世紀のプロスペル・メリメ(Prosper Merimee)やビクトル・ユゴー(Victor Hugo)といった作家たちや、ビオレ・ル・デュク(Viollet-le-Duc)やジャン・バティスト・ラシュス(Jean-Baptiste Lassus)といった建築家たちの仕事を必要とした」

 また、メンテナンスも十分でなかったとゴバール氏は指摘する。「ようやく現在進行中の修復作業が始まったといった具合だ。当然修復すべき時期だし、少々遅すぎた感もある」。同氏は修復開始前に尖塔の下を訪ねた。「一部のれんがはばらばらに崩れていて、落下しないように格子で保持してあった」

 今回の火災後の修復は可能かと尋ねると、ゴバール氏は「尖塔が焼け落ちたことは実はそれほど深刻ではない。ビオレ・ル・デュクの修復設計図に従って再建すればいい」と述べた。

 ビオレ・ル・デュクがいなければ、ノートルダム大聖堂はもはや存在していなかっただろうとゴバール氏は述べる。「1792年に──と言ってもフランス革命とは無関係なのだが──崩壊した尖塔を再建したのは彼だ」

「しかし、この大聖堂院の『森』、つまり屋根を支えていた巨大な木製の構造体が失われているだろう。これが私の危惧するところだ」

 さらにゴバール氏は、立場が異なる複数の機関がノートルダム大聖堂を管轄しているために修復問題が複雑化したのと同様に、再建が阻まれる可能性を懸念する。「再建費用は高額になるだろう。フランス全国、さらには外国からも修復のための寄付が集まってくれたらと願う」 (c)AFP/Frédéric POUCHOT